迷いの多い現代人〜心の声を聴くということ

カラダの哲学

 

現代は情報化社会と言われて久しいですが、つくづく感じるのは迷いの多い人が巷に溢れているということ。

次から次に登場する新しい健康情報に翻弄されて、自分の進むべき道が見えない、あるいは混乱して行き場を失っている人というのがとても多いと感じるのです。

昨日まではAという健康法を信じて取り入れてきた。しかし、権威ある人が「Aは間違った健康法である」と言っていたので今日からそれをやめて、権威ある人が勧めていたBを取り入れることにする、といった風に次々に新しいものに目が移り、絶えず落ち着かず自分の判断に自信が持てない「健康ジプシー」と呼ばれる人が現代はやたらと多い。

私自身もこうして健康に関わる情報をブログを通じて日々発信しているわけで、ある意味、読者の皆さんを迷わせる材料を提供していると言えるのかもしれません。

 

■この情報過多の時代、何を信じたら良いのか?

しかし、私がブログを続ける理由には3つあります。一つは自分自身の文章修行と健康法研究のため、もう一つは同じ治療家の道を目指し始めた息子に将来役立つ情報を準備するため、さらには、治療家として読者の健康増進のヒントになるような情報を提供するためであります。

人間は多様性に富んだ特徴を持つ生き物です。ゆえにAさんにとって良い健康法がBさんにとっても良いかと問えばそうじゃない場合もあり、また、同じAさんの体調だって年齢や生活環境によって一つの健康法がずっと有効とも限りません。それゆえ、それぞれの人の個性に合わせて選べるものは多いほうが良いのは当然なのですが、選択肢は多岐にわたり、なお迷いのタネは増えてしまいます。

そんな情報過多の現代において、一体何を信じたら良いのでしょう?あなたはこの問いかけに対して、「明確な答え」を持っていますか?




■私たちを支えているのは「無意識」の力です

私はこう思います。「私たちのカラダはすでに自分が健康になるための方法を知っている」。

人間は、毎日意識せずとも自然に生きています。心臓も肺も、胃も腎臓も、こちらが命令せずともカラダの各所がちゃんと機能して動いてくれています。カラダは健康に生き延びていくためにどのようにすれば良いのかをわかっているのです。

たとえ何か問題が起こったとしても、精密なメカニズムによってカラダそのものが必要な時に然るべき反応を起こしながら、勝手に判断して治しているのです。

「毎日意識せずとも自然に生きている」これは、別な表現で言えば、無意識の力です。

頭で判断し、評価し、思考し、決定しているのは顕在意識の力。それに対して心臓の活動や肺による活動は、自分で動かそうとか、止めようととか思わなくても、自動的に行われています。これはまさに無意識の領域で行われていること。でも、この無意識の領域こそが、思考することよりももっと大きく、深く、私たち自身の「生」に関わっていると私は感じるのです。

 

■本当に病気を治せるのは私たち自身のカラダ

あなたは病気を治してくれるのは、お医者さんだと思っていますか?

私は、それは間違いだと思います。治してくれるのは、「私たち自身のカラダ」なのです。きっと多くの人は、「病気は医者が治してくれるものだ」と思っているに違いありません。一般に多くの人が持つお医者さんのイメージというのは次のようなものではありませんか?

 

●病気を治す人

●健康の専門家

●頭の良い人

 

まるでお医者さんを神様のように思っている人がいます。しかし、お医者さんだって私たちと変わらない普通の人間です。ミスをしたり、間違いを起こすことだってあります。医学や健康という分野において完全に全てを知っているわけではないのです。

それを踏まえた上で、本当にお医者さんの言っていることは正しいのか?間違いはないのか?そこを注意して、彼らのアドバイスを聴くことが求められます。それは私たち治療家に対しても同様に。

お医者さんになるための勉強は、手術の方法であったり、薬の知識であったり、専門分野に関することが中心になります。これは専門分野以外のことに関しては、あまり知らないということもできるのではないでしょうか。例えば、内科が専門の先生に、脳外科の患者さんの手術をしてくださいと言ってもできるわけがありません。専門分野が違うのです。

これは決してお医者さんや現代医療に対する批判ではありません。プロとして膨大な時間を知識と経験の習得に費やし、時に自分の生活を犠牲にしてまで患者さんの治療にあたる医師という仕事は尊敬に値すると思っています。

また、人に何かあった時、緊急医療を通じて手術をし、人命を救うお手伝いができるのはお医者さんだけですし、私自身も過去に何度もお医者さんのお世話になりました。そういう意味では、お医者さんは社会においてとても大切な役割を担われていると思います。

 

■お医者さんは健康の専門家ではありません

しかし、「人間が本当に健康になる」ということに関して言えば、お医者さんは決してその道の専門家ではないのです。

医療システム上の問題もありますが、お医者さんのお仕事の多くは、今現れている症状を薬で抑えるということに終始しているのではないでしょうか。

例えば、頭痛で病院に行けば、検査して異常がない場合、「このお薬を飲んでください」と言われて薬を処方される。頭痛の原因を突き止めてその原因を解消するということまではなされていないのが現状です。けれど、頭痛の原因が解決しない限りは、またいつかその頭痛は同じように襲ってくるでしょう。

もしも、あなたが交通事故にあって、多量に出血し、生命の危険にさらされているならば、今あるその状態を解決するために病院へ搬送し、すぐに然るべき手術を受ける必要があります。その時に、なぜ患者は多量に出血しているのか?生命の危険にさらされている真の原因は一体なんなのか?なんてことをゆっくり考えてオペしてくれる先生なんかいないでしょう。それは緊急を要する事態なのですから。

いわば、現代医療は、救急医療や生命に関わる外科手術、また感染症に関わるものに関しては、非常に有効でその恩恵は多大です。しかし、それ以外の生活習慣病や慢性疾患に関して、さらには人が真の意味で健康になっていく方法については、決め手にかけると感じてしまうのです。

 

■カラダと生命力こそ最高のお医者さん

どんなに腕の良いお医者さんだって、死んでしまった患者さんを手術で蘇らせることはできません。その治療対象となるのはいつだって患者さんの「生きたカラダ」なのです。

では、そのカラダを生かしているのは何か?それは、患者さんの「思考」ではありません。先に述べた「無意識の領域」が心臓を働かせ、呼吸器や消化器はじめ、カラダの各機能を統括して働かせ、「生きる」ということを可能にしているのです。

例えば、私たちが指先に切り傷をつくり、血が出たとしましょう。お医者さんはそれを丁寧に消毒し、絆創膏を貼ってくれるかもしれません。また、傷が深ければ縫い合わせてくれるかもしれません。そして、しばらくすれば傷口は見事にふさがってきれいに治ってしまいます。

お医者さんが傷口を治したのでしょうか?それとも患者さん自身の生命力が治したのでしょうか?もしも、患者さんがすでに亡くなられていたならば、いくら腕の良いお医者さんが診たとしても、その傷口がふさがることはないでしょう。いつだって、治すのは私たち自身の生命の奥に存在する力。お医者さんができるのは、それをサポートしてくださることだけなのです。

お医者さんでなければ病気を治せないのではありません。いつのまにか、私たち自身のカラダが治しているのです。そうじゃなければ、とっくの昔に人類は滅びていたことでしょう。なぜなら原始時代には、医療機関だってなかったし、お医者さんだっていなかったのですから。

そう考えると、最高のお医者さんは、私たち自身のカラダとそれを働かせている生命の力そのものと言えませんか?

 

■感じることを忘れてしまった現代人

私たち自身のカラダと生命力そのものが最高のお医者さんであるとして、その本当の力が発揮されづらい時代だと感じています。それは最初に述べたように、溢れすぎる情報によって、現代人は「思考すること」ばかりが強いられ、「感じること」が置き去りにされているのです。

顕在意識ばかりが先に立って、無意識が支配する領域の力が弱くなっていると感じるのです。「平均値」とか「データ」というものを重視する社会がそれに拍車をかけています。もちろん、それらはモノゴトを判断する参考にはなりますが、それが全てではありません。なぜなら、すべからく人間には個体差があるのですから。

ある人にとって良いものが、別な人にとっては害をもたらすというのもここから発生します。ところが「平均値」を知ることで、そこに達していない人も、そこをオーバーしてしまった人も、値を知ったと同時に「自分は正常ではない」という意識にとらわれ始めます。なんと、今まで元気に暮らしていたにも関わらずです!これほど不健康な話もありません。

 

■カラダは本当に必要なものを知っている

こんな時代だからこそ、何を頼りにしたら良いのかと言えば、「感じること」であり、「心の声」なのです。心の声というのはとても大切です。例えば「眠気」。

平均値であったり、データであったり、権威ある人が言っていたことなんか無視して、もしもあなたが今モーレツに眠かったなら、すぐに布団を敷いて寝てください。それが「心の声」です。

理論や理屈じゃなく、カラダの深いところから起こる要求に素直に従うことが大切なのです。日々、思考にまみれすぎた私たちは、そんな心の声を無視して、やれ「平均的な睡眠時間は十分取れているから」とか、「まだ山ほど残業があるから」とか言って、思考で遮り、この心の声を無視してしまうのです。

最初はそんなボタンのかけちがいから、些細な不自然が積み重なって、やがて不快な症状や病症名のつく状態へと私たちは自ら変化して行くのです。

本来、私たちのカラダは本当に必要なものが何であるかを知っています。

極論してしまえば、自分でもない赤の他人に、「私は寝たほうが良いでしょうか?」とか、「私は何を食べたら良いでしょうか?」とか、「水を一日に2L飲むのは多いでしょうか?」と訊くことはおかしなことなんです。

 

■一人ひとりのカラダの中に存在するもの

食べ物のことひとつ取っても、ある人は「玄米が良い」、またある人は「肉や卵が良い」、別な人は「食べないほうが良い」などと実に様々なことを言いますし、テレビでも雑誌でもインターネットでも百花繚乱、情報が溢れかえっています。

私も、私自身の体験から自分が良かれと思うことを当ブログで記事にして発信していますが、これが70億全ての人類に当てはまるとは当然思っていません。けれど、人によっては参考にしていただいくと健康のお役に立てていただける情報もあるのでは、と思っています。

それでも最も大切なのは、やはりあなた自身の「心の声」なんです。

あなた自身が食べたいものを、喜びと感謝とともに食べてください。頭で考えるのではなく、心の深いところから発せられる要求と声にしたがってください。

データとか平均値とかいったものに重きをおきすぎると、とてもシンプルなものに気づかなくなります。自分に合わないなと感じることは、どうぞ勇気を持ってやめにしてください。誰かのアドバイスを絶対視するのもやめてください。自分自身のカラダの感覚と、心の声をどうか大切にしてください。

私たちのカラダの中には、一人の例外もなく、人類誕生25万年の歴史を生き抜いてきた、たくましい遺伝子の記憶が存在しているのですから。

 

 

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