名人・坂口直樹と出会って感じたこと①

マクロビオティック

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世の中には、隠れた名人がいるものです。

坂口直樹。59歳。

彼はマクロビオティック名人であり、握り寿司名人であり、九星氣学名人であり、そして楽しく豊かに生きることの名人。

 

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●坂口直樹先生(大久保千和子先生・撮影)

 

 

この度、そんな坂口先生を講師にお招きして4日間にわたって開催致しました全講座が先日無事終了致しました。坂口先生ご苦労さまでした。そして、ご参加下さった皆さまには心からお礼申し上げます。

これまで坂口先生とは、お互いに KIJクシ・インスティテュート・オブ・ジャパンの講師でありながら、ゆっくり話をする機会がありませんでした。講師控え室で挨拶を交わすことはあったものの、お互いのマクロビオティック(以下、マクロと略)に対する考え方や人生観についてまで意見を交換する時間がなかったのです。

飄々とした雰囲気と溢れる笑顔の坂口先生。「この方は只者じゃない。いつかゆっくりお話してみたい」と思いながらも長い間それが叶わずにおりました。ですが、今回の講座開催を機に我が家に泊まって頂き、毎晩遅くまでいろいろなテーマでお話することができました。

・・・いやぁ、これが実に楽かった!

そして、先生との交流を通じて、私の中に「ある気づき」が生まれました。その気づきは私にとって大変大切なもので、それを文章にどうまとめたら良いものかと考えているうちにこうしてブログの更新が遅くなってしまいました。

 





 

■坂口先生と出会って生まれたある気づき■

数年前のことですが、ネット上でマクロビオティックを批判する論調が多く見られた時期がありました。そして、いろいろな方から「noahnoahさん、どうかブログでアンチマクロビ派をやっつける反論記事を書いて下さい!」そういう依頼も多く受けました。

実際にSNS等でそうしたアンチマクロビ派の批判文を目にした私は、意外にも怒りというよりは、むしろ寂しさとか寒々とした印象を受けました。しかし、周囲の期待に反してずっと沈黙を通しておりました。

なぜ、そうした批判が出てくるのか? そして、なぜ、自分が寒々とした印象を受けたのか?その理由についてじっくりと考えてみたいと思ったからです。

しかし、今回、坂口先生とお会いしたことである答えと気づきが得られたのです。そんな「気づき」について、今からつらつらと書き綴ってまいりたいと思います。

これから私が書くことは、現在マクロビアンであるあなたにも、かつてマクロと関わり離れていったあなたにも、マクロと聞くだけで虫唾(むしず)が走るくらい大嫌いなあなたにも、「マクロビオティック」というものを理解する上で、何らかのヒントをもたらすものと思います。

例によってきっと長くなると思いますが(笑)、覚悟しておつきあい下さい。

 

■マクロの本当の目的を教えてくれたアメリカ■

・・・今から十数年以上も昔のこと。私は妻と生まれたばかりの長男を連れ、家族でマクロの勉強のためにアメリカに渡りました。そこで出会ったのは、自分の中に眠る可能性を信じ、生命の不思議を探検しようと試みるマクロビアンたち。そして、「食」を通じて世界平和を実現したいと願う心やさしきマクロビアンたちでした。彼らとの交流を通じて、それまで私の中にあった固定観念が氷解していきました。

玄米菜食を通じて病気を治したり、自分の健康を考えることがマクロビオティックだとばかり思っていた自分に、アメリカのマクロは、「いや、そればかりじゃないんだよ。本当は、自分の生命を生き生きと輝かせ、限りあるこの肉体と人生を、喜んで楽しんで遊び切ることがマクロビオティックの真の目的なんだよ」と教えてくれたのでした。

もちろん、それを実現するための方便としての「食」はあるわけですが、食の作法の向こうにはまるで海面の下に眠る氷山の本体みたいに膨大な知恵と思想と哲学が存在していたのです。アメリカで出会ったマクロビアンの多くは、その氷山の本体をしっかりと捉えようとしていた人たちでした。

 

■人生を大きく変えたマクロビオティック■

坂口直樹先生がアメリカに渡られ、マクロを学ばれていたのもちょうど同じ時期。

寿司職人としてアメリカの日本食レストランで働かれていた坂口先生。全米で「すし」がブームになっていた時代だけに、朝、レストランに出勤して午前9時に仕事を開始し、休みなくずっとすしを握り続け、ふと、時計を見たら針は午前0時を指していた、なんていう日が毎日だったと言います。

店には大物俳優や有名スポーツ選手、成功している実業家など多くの人が来店したそうで、あの誰もが知るアメリカンドリームをつかんだポップアーティスト、アンディ・ウォーホールが来店した時には、人の声が聞き取れないほどざわついていた店内が水を打ったかのようにしんとして鎮まり返り、一瞬にして場の空気が変わったのを感じたそうです。

 

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●アンディ・ウォーホール

Andy Warhol - Wikipedia

 

 

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●アンディ・ウォーホール作「マリリン」

 

そんな慌ただしいアメリカ生活の中にありながらも、坂口先生はマクロに出会って、その後の人生が大きく変わったと言います。生命の意味が理解でき、人がこの世に生まれた意味が理解でき、より自由に人生をとらえられるようになり、以後、夢中になって学ばれたそうです。

毎夜、遅くまで先生と話をする中で、共通の知人や体験が多いのに驚きました。そして、あの時代の、あのアメリカの、あのマクロビオティック運動の活気に満ちていた空気を思い出しました。

坂口先生は、そんなマクロを体現されている方。明るくて、楽しくて、それでいて深い。周囲をワクワクさせる話術とムードをまとっている方です。ゆっくり話をしたのは今回が初めてなのに、長年来の友人のようにお互いの思うところがピタリと一つなのです。共感するところがたくさんあって本当に嬉しかった。

 

■久司先生のあの言葉■

マクロビオティックを取り巻く状況もここ30年ほどで大きく変わりました。80年代後半、アメリカのセレブやアーティスト、ミュージシャンがこぞってボストン在住の久司道夫先生(マクロの世界的リーダーで故人)を訪ね、マクロを生活に取り入れたことから、メディアがそれを取り上げ、まるでファッションのように世界に広がり、知られるようになりました。

そして10年ほど前に、自然派化粧品で有名なアルソアさんが、アメリカのマクロの学校を手本に山梨県の小淵沢にKIJクシ・インスティテュート・オブ・ジャパンを設立。ひょんなことから私も講師を依頼され、活動に関わることとなりました。昔の日本のマクロビアンといえば、病気がちでお年を召された方が多かった印象があります。しかし、KIJで担当させて頂いたクラスには生徒さんに若い女性が多いのに驚きました。

幅広い層にマクロが知られるようになったのを感じるとともに、メディアの影響力の大きさを実感しました。しかし、ある時、久司先生が私にポツリと仰った言葉が今でも忘れられません。

「ブームになっちゃいけません。なんにでも自然な成長のしかたというものがあります。急速に広がるのは強い陰性の証拠。それは、一見良いことのように見えても、急速に極に達し、そして急激に収縮に向かいます。マクロビオティックはブームになってはいけないのです。本当に必要なのは、マクロの本質をしっかり見据えて、静かに、そして確かな形で周囲に伝えてくれる人なのです」

私含め、多くのマクロビアンが空前のマクロビブームに浮かれていた時、久司先生はじっと虚空を見つめるような目をしてそう仰いました。

 

■ネットで盛んになったマクロビ批判■

それから間もなく、あのスティーブ・ジョブスが56歳で膵臓がんで亡くなり、彼がベジタリアンであり、マクロも食生活に取り入れていたことから、死んだのはマクロが原因だ、なんていう論調がネットにも跋扈(ばっこ)しました。

それに乗じてマクロを否定する人たちが急増し、SNSでは言いたい放題。マクロは宗教だとか、健康を害するとか、挙げ句の果て、もともとの提唱者である桜沢如一先生(故人)の女性問題まで取り上げて芸能ゴシップの如く叩く歯科医まで現れる始末。その方は、実際に桜沢先生に出会ったことがないにも関わらず、よく一個人をここまで全否定できるものだなと思うほど。私はその方の文章に寒々としたものを感じました。

本来、モノゴトを否定するには覚悟がいります。その対象を自らきちんと体験し把握した上で発言にも責任を持たねばなりません。噂を聞きかじっただけや書物からの情報だけではたしてモノゴトを簡単に否定できるものでしょうか。

先に触れましたように、いろいろな方から、これらアンチマクロビ派に対する反論記事をブログで書いて欲しいと頼まれた私でしたが、少し時間をかけて自分とマクロとの歴史、自分とマクロとの関わりについてバッシングを機に改めて考えてみたいと思いました。

 

■理解のしかたと実践のしかたに正誤はある■

私自身、マクロとはもう50年近くの付き合いになります。というか、私が生まれた家そのものが、当時マクロを生活に取り入れていて、実家は治療院を経営しながらお米を作る兼業農家。祖父母は多くの患者さんにマクロを指導していました。

なので、私が子供の頃、我が家は食卓を多くの見知らぬ訪問客が取り囲み、ともに玄米ご飯を食べている一風変わった家だったのです。その中には海外からのお客さんもありました。そんな環境の中で半世紀近く、日本のマクロビオティック運動の一部分と、そこに集う人々の生き様を見てきました。だからこそ語れることもあるのではないかと思います。

もちろん、マクロを実践して健康を回復した人もあれば、逆に崩した人もあり、がんなど難病を克服できた人もあれば、残念ながら死した人もあります。しかしながら、だからマクロは誤った健康法であるということにはなりません。現に私は今まで国内外でマクロを実践して健康になった人、幸せになった人に多く出会ってきたからです。

私が思うに、個々の生命の長さというものは、人がこの世に生まれ落ちた時点でおおよそ決まっているのではないか。人が病めるのは、一つには心身が調和から外れたことを知らせるサインとしてあり、もう一つには大きな命の学びのためにある。ゆえに病そのものは死の直接の原因とはならないのではあるまいか。

あるのは、マクロビオティックという、上手に活用すれば人生に恵みをもたらしてくれる一つの健康法と、それをどう捉えて生活および人生に活かしていくかだけなのです。マクロビオティックが誤っているのではなく、人により理解のしかたと実践のしかたに正誤があるのです。

そう考えるに至った経緯と私自身の体験、そして、今回、坂口先生にお会いして感じた気づきについてはまた次回お話ししたいと思います。

 

つづく・・・

 

 

⭐️ 10代の頃読んでもさっぱりわからず、20代ではまだ難しくて、30代でハタと気がつき、40代でなるほどと面白さがわかった!マクロの歴史はここから始まった。マクロビオティックの提唱者・桜沢如一先生の凄さが凝縮されている一冊です!

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