名人・坂口直樹と出会って感じたこと②

マクロビオティック

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世の中には、人の数だけモノの見方があります。

例えば、「apple」をイメージして下さいと言えば、ある人はりんごの木を、ある人は熟したりんごの果実そのものを、またある人は人類のライフスタイルを変えるきっかけとなったPCメーカーのトレードマークを思い出すかも知れません。それぞれの人の心に浮かぶappleは皆同じではないのです。しかし、りんごはかじってみなければその味を知ることはできません。

マクロビオティックに対する認識のしかたも人によって色々です。

それは「玄米菜食」を中心とした食事法だと考える人がいます。「いいえ、それは健康法の一種です」と言う人もあるでしょう。「いやいや、それは恐ろしい宗教のようなものです」と言う人もあるかも知れません。そして、その言葉さえ知らない人もいます。

「マクロビオティック」と言う言葉があまりにも抽象的なので、その内容が捉えにくいという声もあります。マクロビオティックを指導する立場にある人の中にも、「マクロビオティック」という言葉があるために他人に誤解を与えやすい、だから自分はマクロビオティックという言葉をできるだけ使わないという人もいます。

「ローフード」とか「糖質制限食」というのは、その点、具体的です。ローフードなら、加熱および加工処理されていない生の食材を用いた食生活を意味しますし、糖質制限食ならば、ご飯や麺、パンなどの炭水化物を含む糖質を極力制限した食生活を意味します。名は体をあらわすというわけです。

それらに比べ「マクロビオティック」はとても抽象的です。「マクロ」は大きい、「ビオ」は生命、「ティック」は技術や方法を意味します。しかし、私にはこのマクロビオティックの「抽象性」こそがユニークで面白い特徴だ!と感じるのです。

 





 

■古代ギリシアで生まれ、日本で体系化した生活法■

本来は、「マクロビオティックス」と名詞で呼ぶべきですが、ここでは日本で通りの良い「マクロビオティック」という形容詞で話を進めることにします。

マクロビオティックはもともと、ギリシア語の「マクロビオス」が語源で、約2500年前、西洋医学の祖と呼ばれる古代ギリシャのヒポクラテスの「健康には食べ物が関係する」という考えに端を発します。

ヒポクラテスは、そのマクロビオスを「空気・水・場所について」と題するエッセーの中で「健康で長生きの人」のことを表す言葉として用い、自然の秩序と調和のとれた生活によって健康で平和な心が確立するための生き方を提唱しました。

いわば、宇宙の秩序に基づいた生活方法、具体的には環境と食物を十分に配慮した簡素でバランスのとれた食事をすることによって、健康で長生きをする「人間の理想的な生活方法」を「マクロビオティック」と呼んだのです。(以下、マクロと略す)この生活方法は、ギリシャ語で書かれた旧約聖書の中にも示されているように、キリスト教の根っこに流れる思想でもあったのですが、やがて時の流れの中で風化してしまいました。

そのマクロが18世紀にドイツの医者で哲学者のクリストフ・W・フーフェラントによって、再び脚光を浴びることになります。彼が書いた「マクロビオティック長寿法」という食事と健康に関する本が世界的ベストセラーになったのです。それを再び現代に蘇らせたのが日本の食養思想家・桜沢如一先生でした。

 

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●桜沢如一(1893-1966)

 

桜沢先生は、それまでのマクロの概念に「陰陽」や「易」など古代中国の東洋医学の思想を取り入れて体系化し、それを弟子たちとともに海外に広めました。

1977年、アメリカでは従来の欧米型食生活が成人病の増加をもたらしているとの反省から、穀物菜食を中心とした食事への移行を打ち出した「アメリカの食事目標(マクガバン・レポート)」によって、アメリカ人の食生活が大きく変わりました。それを推進する原動力となったのが、マクロであったと国連のレポートで述べられています。

そのレポート作成に協力したのが、今は故人となられた当時ボストン在住の久司道夫先生でした。久司先生はジョン・レノンやジョン・デンバーなど有名ミュージシャンや俳優などとも交流があり、彼らがマクロを生活に取り入れ始めたことがメディアでも紹介され、全米で実践する人が急増し、その流れを受けて日本でも知る人が増えて現在に至ります。

 

■私とマクロビオティックとの関わり■

あなたにとって「マクロビオティック」とは何ですか?

もし私がそう問われたならば、「それは自らに頂いた生命をイキイキと活かす生き方です」と答えます。

マクロはできるだけ地域に根ざした完全穀物を主食とすることが基本で、日本の場合、それは玄米ということになります。もちろん、マクロの中でも玄米ご飯は大切な位置を占めるものですが、私にとってマクロビオティックはイコール「玄米菜食」ということにはなりません。それ以上のものです。

その理由をお伝えするには、まず私とマクロビオティックとの関わりについてお話ししなければなりません。ここからが長くなりますが、お時間のある方は宜しかったらおつきあい下さい。

 

■マクロビオティックとの出会い■

今から50年前、私が生まれる前からマクロは祖父母や両親がすでに実践していました。当時、一部ではマクロビオティックのことは「正しい食」と書いて「正食」と呼ばれたりもしていました。

実家は札幌から車で1時間半ほど行った農村地帯にあり、一家をあげて米作りの農家をしていました。家族がマクロに出会ったきっかけは、祖父の心臓弁膜症という病気でした。ある日、農作業中の祖父が突然胸の痛みを訴えて倒れ、札幌の大きな病院で診てもらったところ、そう診断されたのです。

当時、心臓弁膜症には治療の方法がなく、祖父は医師から余命数ヶ月と宣告されました。その時、祖父は43歳の働き盛り。すでに5人の子供を抱え、まだまだ子育ての最中、死ぬわけにはいきません。藁をもすがる思いで、何か良い方法はないものかと暗中模索の日々を過ごしていました。

そんなある日、祖父のもとにニュースが飛び込んできました。町の公民館で講演会があるというのです。しかも、その講演会のタイトルは、「あなたの心臓を入れ替える方法」という何やら怪しげなもの。最初、祖父は心臓移植手術についての話かと思い、それなら何か良い情報がつかめるかもしれないと感じて会場に向かいました。

そこで講師が語ったことは、「人間の体というものは、私たちが日々口から摂り込む食物でできている。それが間違った食べ物であるなら、私たちの体も病気に冒され、病める心臓を持つことになるだろう。しかし、摂りこむ食べ物を正しいものに変えさえすれば、病める心臓を再び健康な心臓に創り変えることができる、つまりは入れ替えることができる」というものでした。講師は一通り話し終えると、最後にこう結びました。

「そのためには玄米ご飯を主食にして、少量の野菜や海藻、豆などを副菜として、よく噛んで食べること」

その講師とは、マクロビオティックの提唱者・桜沢如一先生の弟子で、普及活動のために全国をまわっていたマクロの指導家なのでした。

 

■食べ物が病気の原因だった■

その時耳にした、「食べ物が病気の原因」という考え方は、祖父にとって大変新鮮で衝撃的でした。個人的に相談にのってもらいたいと思った祖父が、講演終了後、指導家のもとに駆け寄ると、指導家は、祖父の顔を診るなり、重い心臓弁膜症であること、大の甘いもの好きであることを言い当て、祖父を驚嘆させました。そして、砂糖をやめて玄米食を3ヶ月間まじめに実行すれば、必ず治ると断言したのです。

当時、ちょうど日本では戦後の経済復興にともない、白砂糖が市場に安く大量に供給されるようになった頃で、糖分は疲労を取り去り、エネルギーになるとの考えが庶民にも広がっていました。祖父などは甘い菓子を食べるのはもとより、農作業の合間に砂糖を水に溶かして砂糖水を作っては、それを日に何杯も飲んでいたと言います。そうした砂糖の過剰摂取が原因であると断言した者は、その指導家以外にはなく、祖父はその指導家の言ったことを信じて、食生活の改善を試みようと決意しました。

当時は、今と違って時間の流れものんびりとしたものだったのでしょう、その後、指導家は、なんと一週間も実家に滞在し、祖父母に基本の玄米ご飯の炊き方から、副菜の調理の仕方、東洋医学の本体をなす「陰陽」の考え方とその使い方について、マクロの基本を無償で教えてくれたのです。

 

■桜沢先生との約束■

それから、祖父母は協力して取り組み、半年経った頃には、祖父は再び畑に出られるようになり、一年経った頃には、何も問題なく生活ができるようになりました。祖父はたいそう喜び、その事実を自分に死を宣告した医師に伝えたいと思い、病院を訪ねました。

医師は、もうとっくに他界したと思われた患者が元気に来院したことに驚きを隠せない様子でした。そこで、祖父はよせばよいのに医師にこう言ったのです。

「先生も是非、玄米食を患者さんに伝えてあげて下さい。そうすれば、この世の中から病人が減ります。やがて、病院もお医者さんもいらなくなります」

それを聞いた医師が怒り心頭に発したのは言うまでもありません。祖父はその日から病院を出入り禁止となりました。祖父としては、単純に自分の病気が食べ物で良くなった喜びを医師に伝えたかったことと、食べ物に意識を向けることが人々に健康をもたらす上で大切であることを健康の専門家である医師にも理解して欲しかったのだと思います。

祖父は、「死ぬ運命にあった自分が、今こうして生かされている。これはきっと、再び天から頂いた命に違いない。この命は、病に苦しむ人のために使わねば」と考え、マクロの提唱者・桜沢如一先生に直接会いに行って、相談しました。

「先生、私はマクロのおかげで命を頂き直しました。これから一生かけてその恩返しをしたいのです。しかし、私は一介の百姓に過ぎません。そんな百姓の私が世の中のために何かできることはあるでしょうか?」

桜沢先生は、祖父の問いかけに対して、こう答えられました。

「君は、かつて君がしてもらったように、身近で病んで困っている人々に玄米ご飯の炊き方とマクロについて、無償で教えてあげなさい。まずは100人を目標に伝えること。もし、そうして100人の人が良くなったら、私のところに報告に来なさい」

帰宅した祖父は、その日から家族の協力を得て、農業の傍ら、一家でマクロを伝える活動を始めました。近所で体の調子が悪い人がいると聞けば、家に招いて玄米ご飯を食べさせるのです。それらはすべて桜沢先生との約束通り無償で行われました。決して豊かではない寒村の農家で、しかも子沢山。家計は火の車だったことは想像に難くありません。

 

■自宅でマクロビオティック活動を始める■

それでも、しばらくして、マクロを伝え、健康を回復した人が100人に達し、祖父は再び桜沢先生と会ってそのことを報告しました。すると桜沢先生は次のように言われました。

「ご苦労様。よくやったね。では、次には、倍の200人の人に伝えてごらん。それができたら、また私のところに報告に来なさい」

さらに倍の人に伝えよ、と聞いて、祖父は少し困惑したものの、200人達成にそれほど時間はかかりませんでした。というのも、マクロの食事で良くなった人たちが身近な人に伝えてくれたことで、うちに訪ねて来る人が急激に増えたからです。中には、何週間も泊まり込みで治療に当たる人もいました。

合わせて300人の病める人々の治療に当たった祖父は、桜沢先生に会ってそのことを報告しました。桜沢先生は祖父の手を取り、こう言われました。

「本当によく頑張ったね。今まで無償でよくやった。免許皆伝だ。これから君は、治療の資格を取りなさい。そして、患者さんとして来られた人たちにマクロを伝えなさい。これからは、しっかりお金も頂くんだよ。今までの経験はきっとこれからの大きな糧となる。君の成功を祈っているよ」

それから、祖父は治療の勉強を始め、指圧師の資格を取ってから、農業を続けながら治療院を開業し、健康指導を始めました。

 

■反抗した少年時代■

私が子供の頃、家には病人が何人も泊まりこみ、祖父母から玄米の炊き方や手当て法を学んでいました。当時は、今ほど農業に農薬が使われることも少なく、実家には肥溜めがあり、人糞を肥料として農作物を栽培していました。人糞はまたの名を「最高級有機質肥料」と呼ばれるくらい作物に活力を与えます。その頃は現代に比べ、土にも植物にも力があったのでしょう。多くの病人さんが食事で良くなっていくのを私は身近に目にしてきました。

また、ちょうどその頃はマクロが海外でも知られるようになった頃で、訪問者の中には、アメリカやカナダ、オランダなどから家族で訪れる外国人もいました。当時は国際化が言われる前の日本ゆえ、隣人たちからは、玄米を食べ、外国人が訪ねてくる奇妙な家だと思われていました。

しかし、青い目をした訪問者たちは、私の良い遊び相手となってくれました。私を肩車しながら、遠い異国の歌を歌ってくれたり、初めて耳にする外国語を教えてくれたりしました。

こうしていつの間にか私の中で、異国にたいする興味がふくらんでいきました。けれども、反対にマクロは、長い間好きになれませんでした。家では市販の菓子は体に悪いからと禁じられ、肉類が食卓に上ることは少なく、玄米ご飯をよく噛むようにしつけられ、おまけに小学校では給食のかわりに、無理やり玄米弁当を持っていかされそうになって、それに対して私は、絶食して反対の意を示し、かろうじて免れることができました。

マクロに出会ったことにより健康を回復し、死を免れた祖父の思いは、よほど強いものだったのでしょう。一家をあげて普及活動に尽力しました。毎年、夏には有珠にある善光寺というお寺の宿泊所を借りて、東京や大阪から指導者を講師に招き、「健康学園」という名の合宿を1週間ほど行い、それを10年間続けました。海外からの参加者もあり、最盛期では100名以上が集う大きな会となりました。

大勢の人が集まる賑やかで和やかな集団生活。雰囲気そのものは好きでしたが、なぜ、世間一般の人々が普通に食べている食べ物が良くなくて、自分たちの食べているものだけが良い食べ物なのか、幼い私は理解に苦しみました。そうやって食べ物の良し悪しをジャッジする家族の態度に子供心に違和感を感じたのです。

祖父母や両親の提供するマクロ食や健康指導により、病を克服し、元気になっていく人たちが多くいたのは事実ですが、いくら良いものでも子供の私にはストイック過ぎたのです。その反動で私自身は、外食を好み、菓子も好きなものを外に求めるアンチマクロ派になりました。

 

■引っ越して食事が変わって起きたこと■

私が小学五年生の時、祖父母を田舎に残し、私たち一家は札幌に移り住みました。子供の進学のためには都会の方が良いと両親が考えたからです。街の暮らしで私たちの生活リズムは一変しました。田舎では貧しいながらも野菜と米だけは自分たちで作っていたので、子沢山でもなんとか食べていくことができましたが、街ではそういうわけにはいきません。

私は6人兄弟の長男なのですが、食べ盛りの男子が6人もいる家庭で、米びつは、あっという間に底をつき、月々の食費も相当な額に上っていました。料理は手作りが当たり前だった母も食費を稼ぐため日々の内職に追われ、スーパーの惣菜が食卓に並ぶことが多くなりました。

ちょうどその頃は、日本でも海外のコンビニエンスストアが進出し始めた時期でした。父の友人が店を始めた関係で、発注のセンスがよほど悪かったのか大量に売れ残った弁当や惣菜を我が家に毎日のように届けてくれました。子供が多いことをよほど不憫に思ったのでしょう、もちろんそれらはすべてタダ。田舎ではマクロビオティックを指導していた両親も、さすがに困窮した街の暮らしでタダほどありがたいものはありません。

今までそうしたものが禁じられていた私たち子供も、それらの惣菜や弁当は大歓迎でした。色とりどりの弁当からめいめい好きなものを選ぶことができるなんてまるで夢のようでした。こうして、いつの間にか、我が家の食卓はマクロとは正反対のスーパーの惣菜と弁当で占められるようになり、母も玄米ご飯を炊くことはほとんどなくなりました。

こうなると、針が反対に振り切るごとく、家の食事はどんどん規制がゆるくなっていきました。市販のお菓子も半ば公認。カップ麺やインスタント食品が我がもの顔で食卓に並びます。私など、同じくこの時期に日本に進出してきたファストフードの店でハンバーガーなるものを生まれて初めて体験し、すっかりその味に魅了されてからは、お金ができては店に通い、こうした生活が数年間続きました。

 

■父がすい臓がんになる■

今、この時期を振り返ってみると、私自身の体調はあまり良いとはいえなかったように思います。胃の痛みを感じることが多く、中学生なのに恵命我心散という苦い胃薬をいつも服用していましたし、学校も休みがちで、虫歯の数が極端に増えて、随分と歯医者にもかかりました。

しかし、家族の中で最も顕著に変化があったのは父でした。治療師を生業としていた父には、当時、代議士の患者さんが多く、選挙活動に同行したり、宴会に招待されたりと、時間が不規則でハードな生活に加え、ご馳走を頂く機会が続いていました。

私が高校一年生の春、そんな父が、家で突然背中の痛みを訴えて倒れました。七転八倒の激痛で何をしても痛みが治まりません。すぐに大きな病院で診てもらったところ、すい臓がんとの診断で即入院。

すい臓がんは死亡率の高い病気で、例え病巣部を切除できたとしても9割は再発するという手強いがんです。同じ病室のすい臓がんの患者さんが一人、また一人と亡くなっていく中、父はこのままでは、自分も死んでしまうと感じ、ある日、担当の医師に退院を申し出、再び食生活を悔い改める決心をしました。

父は、マクロの治病食と、鍼灸師の恩師から教えてもらったサプリメント、そして蓮見ワクチンとの3本立てで、自宅治療に取り組んだ結果、一年数ヶ月の後、がんは消失。両親は食生活の基本を再びマクロ食に戻しました。しかし、私自身は、一度覚えてしまったシャバの味を忘れるわけにはいきません。母は二種類ご飯を炊いて、両親は玄米、私たち子供らは白米を食べる生活が続きました。

ちなみに父はその後、がんの再発もなく、今年76歳を迎えます。食と健康というのは密接に関わっていて、されど安定というものはなかなか得難く、それが崩れ去ることはいとも容易いものであると、父の人生を見てきた私は実感しています。

 

そんなわけで、ストイックな玄米正食一家における不真面目な三代目長男として育ち、やがて大人になった私でしたが、ある時、大きな転機を迎えることになります。はたしてその転機とは?

タイトルにあげた坂口直樹先生の登場はもう少し先、ブログは次回へと続きます。

 

つづく・・・

 

 

⭐️ 私が初めて出会ったマクロビオティックの本。海外旅行にも持って行き、何度も読み返しました。少ない文字数ながら大変インパクトのある内容、若き日の自分を育ててくれた一冊です。書かれて半世紀以上経った現在でも決して古くない!これはスゴイことです。

永遠の少年

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