女性が男性よりも元気な理由

愛とセックス

 

私が出会った「ある考え方」・・・、それは「カタカムナ文明」のことです。

昨今、ネットを中心に広がっている子宮ブームでも触れられることがあるため、一度は耳にしたという方も多いことでしょう。

カタカムナとは、約1万2000年以上も昔に、この日本を中心に高度な文明が存在したという、いわば伝説の古代文明。当時の古代人はすでに文字を有し、それは「カタカムナ文字」と呼ばれていました。その文字は幾何学模様のような不思議なカタチをしていて、しかも、その文は縦でもなく横でもなく渦巻き状に書き出していくというものでした。

 

●カタカムナ文字(ウィキペディアより)

 

それがなぜ再びこの世に蘇ったのかというと、終戦後、のちにカタカムナ文字の解読者となる楢崎皐月(ならざき・こうげつ)氏が、兵庫県六甲山の山奥で、地質調査を行っていたところ、平十字(ひら・とうじ)と名乗る男性に出会ったことから始まります。

平氏が、彼の祖先から大切に受け継いできたという「カタカムナ神社」の御神体の巻物を楢崎氏に見せたところ、楢崎氏はそれがただならぬものであることを直感し、日数をかけてその巻物を書き写し、解読を試みたのです。

そこでわかったことは、この宇宙がどのようにしてできたのか、この世において物質がどのようにして誕生してくるのか、さらには万物を生み出す陰陽の仕組みと、男と女の違い、そしてその役割についてでした。




■この宇宙は根源意識から始まった■

カタカムナ文明において、この世界はもともと、純粋なひとつのエネルギーである「根源意識」が自分自身を探求するために創造したものと考えられています。それゆえ、その分身である私たち人間一人ひとりの心の中にも、個人差はあっても自己探求への欲求が存在するのです。

ひとつの根源意識は、ある時、世界を創造するために「自分と正反対のものよ、出でよ!」と念じました。その意念によって、そこに根源意識とは正反対の性質を持つ「重力意識」が誕生しました。

重力意識が誕生したことによって、根源意識は自分自身が「反重力意識」であることを認識しました。続いて根源意識は「私と正反対のものよ、広く行き渡れ!」と念じました。その意念によって反重力意識である根源意識と重力意識は重なり合って、そこに無重力の「場」=「無重力場」が誕生しました。この無重力場のことをカタカムナ文明では「アマ」と呼びます。

 

無重力場であるアマは次第に増えていき、漆黒の闇にはいくつもの球状をしたアマが浮かび上がりました。これが現象宇宙を生み出し、森羅万象を創り出す母体となりました。まさにこの時から、アマの中で正反対のエネルギー同士の和合による創造が始まったのです。

根源意識を女性性のエネルギーとするならば、そこから生まれた重力意識は男性性のエネルギーを有します。その女性性のエネルギーと男性性のエネルギーが和合することによって両性を併せ持つ無重力場=アマが創造されたわけです。

これを図に表してみると次のようになります。

 

 

■すべてを生み出す「ゼロ」■

いささか小難しい話になりますが、なんとかついてきてください。めでたくこのシリーズを読み終えたあかつきには、必ずやあなたも男性と女性の真の役割について目覚め、感動を享受できるはずですから。

さて、この無重力場=アマとは、仏教、特に般若心経で言われるところの「空」と同じものと思って良いでしょう。東洋における陰陽論では、「陰」を女性性のエネルギー、そして「陽」を男性性のエネルギーとして捉えます。この世の中は、これら二つの異なるエネルギーが協調調和することによって森羅万象が生み出され、変化していくと考えられています。

この陰のエネルギーと陽のエネルギーの量が等しい状態を「中庸」と言います。エネルギーというものは相反する性質のものが同じ分量で存在した場合、互いに打ち消しあうことが知られています。

磁気についていえば、同じ磁力のN極とS極の磁気をぶつけると、互いに打ち消し合いつつも磁力の高低の変動が大きく、全体的にはゼロに近い状態を保っている場所が誕生します。これを「ゼロ磁場」と呼びます。

ゼロというのは「何もない」という意味ではなく、大きなエネルギーがそこでせめぎ合い、二つの力が拮抗している状態で、何もないように見えて、高い次元のエネルギーが存在しています。

私たちは「縦、横、高さ」を基調とした三次元の世界に住んでいて、これに「時間」を加えた四次元世界の法則にそって生きていますが、時空にはこれよりさらに高次元の世界があり、ゼロ磁場はそうした高次元とのアクセスポイントになっていると考えられます。つまりは、陰でも陽でもない中立なところに高次元のエネルギーが注がれるのではないかということです。カタカムナ文明においては、このゼロ磁場のようなものが無重力場であり、アマなのです。

 

■正孔(ホール)が電子を導く■

私たちは外部から「栄養」を取り込んで生きています。「食べる」「セックスする=他者と交わる」「眠る」これらの行為はすべて外部から栄養を取り込む目的があることは前にお伝えしました。これらの行為を通じて私たちは創造の源である「アマ」から栄養をもらい、生命力を養い、生きていけるのです。それはまるで、母親からお乳をもらう乳児のように。

カタカムナ文明では、こうした行為は電気現象として説明されています。

私たちの日常における生命活動の根本にはすべて「電気」が存在します。例えば、食べ物を食べ、それを消化・吸収・運搬する働きも体内の電気現象により行われます。もし、この生体電気が弱ければ、いくら栄養のある食べ物を口に入れてもカラダを養うことはできません。それはセックスにおいても同じです。

電気というと、普通はマイナスを担う「電子」のことを指しますが、実は電子にも「マイナスの電荷を持つ陰電子=エレクトロン」「プラスの電荷を持つ陽電子=ポジトロンの2種類があります。それに加え重要なのが、半導体に存在する「正孔=ホール」と呼ばれるもので、これは電荷を持たない性質でありながら、電子を動かすきっかけをつくり出すもとになります。

例えば、コンサートホールなどで、 前の方の席が空くと、 後ろにいた人が前の空いた席へ移動する光景を見かけます。その後に出来た空席をうめるため、さらに後ろからやってきた人が座る、というふうにして順々に人が前へ前へと移動してそこに動きが生じます。

陰電子はマイナスの電気を持っているのでプラスの電極に引かれますが、コンサートホールにおける空席もそこに座る人々により順次移動していくので、まるで空席自体がプラスの電気を持っているかのように見えます。この空席のことを正孔と呼ぶのです。正はプラス、孔は穴の意味を持ちます。あたかもプラスの性質を持った穴という意味で正孔と呼ばれています。

陰でもなく、陽でもないのに、そこに正孔が存在するとマイナスの電子が導かれ、電気が生じるわけです。それゆえ、正孔は先に述べたゼロ磁場と同様に「有」 に対する 「無」 ではなく、般若心経で言われるところの「空」に近いものであり、厳然として存在するものなのです。 誰もが利用しているLED=発光ダイオードも、陰電子が正孔に落ち込んでエネルギーを失う時に発する光を利用したものです。

 

■セックスは健康と豊かさの種まき■

まさに、正孔のこの性質こそは「空」であり、無重力場=アマの性質を受け継いだものと言えます。

なぜ女性の方が、男性よりも生命体として強く丈夫と言えるのか?

実はその理由もこの正孔とアマに関係があるのです。一般的に金属は「導体」と呼ばれ、陰電子しか持ちませんが、「半導体」と呼ばれる物質には正孔が多く存在します。そして、この半導体と半導体を摩擦した場合、電流の向きが一方向に整い、増幅されるという現象が起こります。

そして、異なる半導体同士を広い面で接触、摩擦するとそこからどんどん電子が発生して、互いに電気量が増えるのです。実は、私たち人間のカラダも半導体物質でできています。これは一体どういうことを意味しているのでしょうか?

・・・そうです。男女のセックスによる接触、摩擦も電気を増幅させ、生命エネルギーを高める方法となるのです。互いに触れ合うことにより双方の生体電気の量が増して生気が充実し、心の安らぎや満足感をもたらし、生きる活力となる栄養を与え受け取ることができるのです。こうなれば、セックスはまさに愛し合う男女にとって健康と豊かさの種まきともなるものなのです。

 

■男性と女性のエネルギー的な違い■

しかし、男性と女性は生命体としての違いを持っています。

女性のカラダというものは、もともと男性のカラダに比べ、先に述べた正孔=ホールが多く存在します。それにより、体表を絶えず正孔が移動しながら電子を放出し、周囲の環境からも直接電気を取り込むことができるため、常に電位の高い状態を維持しやすいのです。これはさながら、植物が日光から直接栄養を吸収・合成できるのに似ています。

しかし、男性のカラダは、電子が主となって正孔があまり存在しないため、環境から正孔や電気を取り込むことができず、常に電気の不足した電位の低い状態にあるのです。それゆえ、男性は女性と接触することにより、不足している電気を補わなければなりません。これは、草食動物が植物を食べることによって、間接的に日光のエネルギーを取り込むことに似ています。

女性に比べ、男性のほうが性的衝動を強く持つ理由がここにあります。男性が女性を追う姿は、こうした生理的、エネルギー的側面から見ればとても自然なことなのです。

女性はもともと発生において、根源意識の要素を多く含む生命体であり、男性はその根源意識から生み出された重力意識の要素を多く含む生命体です。こうした男女の持つ陰陽のエネルギーが無重力場=アマと繋がり、そこからさらなるエネルギーは増幅され、新しい生命を創造する大きなチカラが生まれるのです。

セックスによって気が充実すると、生体電気は体内の必要なところに運ばれてカラダは活気を取り戻します。病気とは主に気が不足して起こるのですが、増幅された生体電気はカラダの不足したところに運ばれ、気を満たしてくれるのです。生体電気が補充されている間、カラダは静かな恍惚感に包まれ、大脳は活性化され、クリアでさえた状態となります。また、相手との一体感はこころにも栄養をもたらし、愛情や情緒が育まれていきます。

森羅万象の誕生のふるさととも言える無重力場=アマとつながり、そこから生命エネルギーを供給し、からだ、こころ、いのちの栄養を満たす行為のことをカタカムナ文明では「アマウツシ」と言います。セックスはまさに究極のアマウツシの方法なのです。

ところが、このアマウツシが十分なされなければ、からだも、こころも、そしていのちも、生気を失い枯れてしまいます。それは、食べ物を与えられない子供が飢えてやがてやせ細ってしまうように・・・

 

現代人の多くは、先にあげたようなセックス本来の目的と意味を失い、迷走しているように感じています。物質的繁栄の中にあっても豊かさや幸せをこころの底から感じられなかったり、夫婦や恋人同士でもパートナーシップにおいて問題を抱えていたり、この日本においてセックスレスが急増していることも見逃せません。

それを解決する鍵は、人間関係の基本単位である男女のあり方の正しい認識にあると私は信じて疑いません。

長い上、論文調になってきた本ブログ。読者がどんどん離れていくのを肌で感じながらも、愛機Mac Book Airのキーを叩く手は止まりません。カタカムナから見た男女の性質の違いと、そこから導き出される男女問題の解決の鍵。それらは次回のブログで明らかにしたいと思います。

 

 

 

🌟 つまりは、人間というものが霊的な存在である以上、セクシャリティとスピリチュアリティは一つのものなんだと思います。そうした観点抜きに性愛について語っても、どこか物足りない。そんな時、この本に出会いました。不足を満たしてあまりあります。あなたもぜひ!

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