今まで男女の発生の原理とその性質の違いについて触れてきましたが、その要点を整理しますと次の通りです。
●女性はもともとこの宇宙を創造した根源意識と深いつながりを持った存在である。
●男性はその根源意識によって二次的に創造された存在である。
●女性性のエネルギーと男性性のエネルギーが結びついてできた無重力場のことをカタカムナ文明では「アマ」と呼び、この世の森羅万象は全てこの「アマ」から創造される。
●女性はもともと自然界や周囲の環境から自動的にエネルギーを取り込み、自分自身を満たすことができる能力に長けている。このことを「アマウツシ」という。
●根源意識と直接的につながり、電気が豊富な女性に比べ、男性は生体電気が少なく、それゆえ女性に触れることを強く欲し、女性に触れることによりエネルギーを取り込む生命体である。
●男女異なる性を持つもの同士が肌を合わせ、抱擁し合うこと(=セックス)で電気が生じ、生命エネルギーの交流が起こる。これにより人間は元気になり、愛や情緒が育まれる。そして、これこそが人間にとって最も効率の良いアマウツシとなる。
今、日本に増えているセックスレス。仕事柄、男女双方からそういった夫婦関係についてのご相談をいただくことがあります。夫が求めても妻がそれに応じてくれないケース、逆に妻が求めているのに夫が応じないケースなど事情はさまざまですが、そのことによって夫婦の関係性が悪くなるだけでなく、お互いがストレスを溜め込んで体調を崩したり、仕事や事業がうまくいかなくなって一家離散したり、セックスレスが大きな負をつくりだすきっかけとなってしまう例は少なくありません。
なぜなら、この世の全ての事象は陰と陽、異なる性質同士の関わり合いによって成長・発展、変化していくものだからです。男と女も陰陽異なるエネルギーが人間というカタチをとって表現された存在であり、陰陽の調和は大切です。基本的に女性は陰性のエネルギーを、男性は陽性のエネルギーを象徴するものですが、この世に完全100%の陰性、完全100%の陽性というものはありません。個人を構成する男性性のエネルギーと女性性のエネルギーの配分も、指紋みたいなもので一人ひとりが違います。
相対的にみて、男性性のエネルギーがまさって身体的特徴が現れれば社会的には男性として認められ、女性性がまさっていれば女性ということにはなっていますが、その男女も大きく分ければ、男らしい男、女らしい女、女っぽい男、男っぽい女と4つのグループに分かれます。さらにその4つから細かく分かれというふうにして、異なるエネルギーの配分は無数のパターンを生み出し、それが人間社会全体としてみた時に鮮やかなグラデーションを構成します。まさにそのエネルギー配分の妙が私たち一人ひとりの個性を創り出しているわけなのです。
磁石のS極がN極に引かれ、電子が−極から+極へと流れるように、世の多くのものは反対の性質のもの同士が引き合い、同質のもの同士は反発し合うという性質を持っています。それゆえ、私たち人間も日々互いに引かれ合い、反発し合いながら生きています。
社会の基本単位となるのは夫婦です。この夫婦の陰陽が調和しているか、あるいは不調和な状態にあるのかということは、その家庭のみならず、地域社会、国全体の良好な運営にとって重要な問題となるのは容易に想像がつきます。
この国にセックスレスが急増するにつれ、不倫も急増。昨年、メディアの芸能ネタで「不倫」を扱ったものが多かったのは皆さんの記憶に新しいことと思います。また、そこから夫婦が離婚へと進むケースは珍しくなく、セックスレス・不倫・離婚は3つセットになって近年、わが国の一大トレンドとなってしまった感さえあります。
厚生労働省がデータ化した年齢別離婚率データを見れば、次の通り。実際に急増していることが見て取れます。
(上から男性・女性の順)
●男性の離婚率 *昭和55年以降、急速に伸びている。しかも10代から30代前半の若い世代に多い。
●女性の離婚率 *昭和55年以降、こちらも急速に伸びている。10代から30代前半の若い世代に多い。
私自身は、離婚は決してネガティブな要素ばかりだと思いません。しかしなぜ、かくも日本においてこのように夫婦の関係性が著しく変化してしまったのでしょう?
その理由の一つとして、男女ともに本来の男性の役割、女性の役割を忘れてしまったということがあると感じています。
私たち人間がこうして男女に分けられ、その心身において異なる身体のしくみや役割を持たせられたのには意味があります。現代は社会の第一線で働く女性も増えたけれど、大昔を考えてみると人々の暮らしといえば、男たちは狩りに出かけ、獲物を捕らえて家族の待つ共同体へと持ち帰り、女たちは住みかで食事の支度をしながら男たちが無事帰るのを待つことが基本にありました。
今よりもずっと食べることが困難だった時代、男たちは家族のために命がけで食料を獲得し、女たちは戻った男たちを賞賛を持って迎えたことでしょう。きっと、男たちがそこで得たのは「安らぎ」だったはずです。そして、男たちは女たちから心と身体両方の栄養をもらって生命を充実させ、それまでにも増して家族や共同体のためによく働いたに違いありません。
それから長い長い年月が経ち、女性が社会進出するようになった現代でも、多少の差はあれ基本的にこの形態は変わっていません。男は外でストレスにさらされ(女性もそうだけれど)、傷つき疲れて家に戻ります。しかし、家庭に女の笑顔と優しい労いの言葉が待っていることで、どれだけすり減った命を再びいっぱいのエネルギーで満たすことができるでしょう。
しかし、現代は物質的に豊かな暮らしを維持していくために女性も働くことを余儀なくされ、毎日の家事に加え、男性同様に外で働くことが求められます。もはや働く女性には男性を受け入れる心身の余裕がありません。また、男性の方も職場の人間関係や山ほどの残業を抱え心身ともにすり減って、女性を優しくいたわる包容力に欠けています。結果、双方の「思いやり」の欠如により、家庭からスキンシップは消え、夫婦の関係は急速に冷めていくことになるのです。
夫も妻も、かつて愛し合ったはずの相手から愛してもらうことのできない悲しみには深刻なものがあると思います。しかし、今まで述べてきたように、その発生の機序が異なる男性と女性では、愛の欠落からくるダメージの大きさが桁違いに違うのです。
自らが自然界や周囲の環境から自動的にエネルギーを取り込み、自分自身を満たすことができる女性に比べ、男性は本来的に生体電気が少なく、女性に触れることによってエネルギーを取り込む生命体であるため、女性との接触が絶たれることは、すなわちエネルギー的食物が与えられないことを意味します。その先に待っているのは、生命体としての「飢餓」です。それゆえ、意識的、無意識的に関わらず、男性というものは女性を強く求めずにはおられないのです。
きっと、女性の読者は、世の中でなぜ配偶者のある男性が風俗店を利用したり、社会的なリスクを冒してまで不倫に走ったり、性犯罪を犯したりするのだろう?そう疑問に思われたことが一度はおありでしょう。
以前、風俗店関係者と話をする機会があったのですが、その方の話では、店を利用する男性客の実に6、7割はすでに性的パートナーがいるか、配偶者のいる既婚者だそうです。相手がいながらもそうしたサービスを利用しなければならない男性の心のうちには一体どのような感情が生じているのでしょう?
それは、きっとある種の寂しさと安らぎの欠如です。
私の知り合いに、周囲の年上男性から非常にモテる女性がいます。年齢は40代半ばで独身、仕事は事務職をしています。清楚で少し古風な感じのする彼女は特別女性らしい体つきやルックスをしているわけではありません。しかし、会社やプライベートでも配偶者を持つ年上男性から食事の誘いがひっきりなしで、忙しい毎日を送っています。
以前、一緒に話をした時、彼女も、世の中で起こる性犯罪のうち、伴侶のいる既婚者が罪を起こすのはなぜなのだろうと不思議に思っていた時期があったそうです。しかし、年齢を重ね、いつからか自分よりも年上の男性たちと多く交流するようになって、大切な「あること」に気がついたと言います。
職場の上司や親ほども年の離れた男性から誘われることの多い彼女は、ある時、飲み屋で酔い潰れながら吐き出される男性たちのため息や本音を見聞きし、男性たちが心の底で欲しているその「あること」に気がついたのだそうです。
・・・それは、「男性も甘えたかったんだ」ということ。
中でも、組織で周囲を引っ張っていく役職にある男性や真面目な男性、職人肌の男性、意外に周囲を明るくするムードメーカーとなっている男性・・・そうした男性ほど、立場上、誰にも甘えることができずに一人でどうにかしようとしてストレスを抱え込んで毎日を生きていると感じたそうです。ある時、彼女はまるで母親みたいな眼差しで私にポツリとこう言いました。
「男性も、きっと本当はもっと色んな意味で甘えたいんですよね」
彼女いわく、女性より強そうに見える男性も実はとても弱い部分を持っている。それがわかってからは、できるだけ男性に言いたいことを吐き出してもらって、その弱さを理解してあげ、孤独を感じないような暖かい空気感をつくってあげるようにしているそうです。私は、彼女がモテる理由がなんとなくわかりました。
既婚者は皆一様に幸せというイメージがあると思いますが、既婚者の中にも案外、孤独や寂しさを感じている人は多いものです。そばに配偶者と呼ばれる存在がいながら、いや、むしろいるからこそ、その存在と真に理解し合えないことの孤独や寂しさというものは深いようです。そう考えると、セックスとは単に性欲に端を発した身体だけの問題ではないということにもなります。
女性は上手に他者とコミュニケーションをとる中で自分の感情を表に出したり、調整したりできるように感じるけれど、案外、男はそれが苦手という人が多いもの。本音を人に伝えて負の感情を軽くしたり、自分の弱みを見せて弱点も含めて相手に受け入れてもらうということがなかなかできないのが男。そんな男の弱さを知って、その弱さを受け止め、母性的安らぎを与えてくれる女性に私たち男性は癒されるのです。
家庭をかえりみず風俗店通いをする男性は褒められたものではないし、性犯罪に走る男性の行為そのものは、女性を傷つけ、決して許されるものではありません。しかし、配偶者がいながらもなおそうした行為に走ってしまう男性たちの心には、配偶者によっては満たされない何か、完全に欠落してしまった何かがあるように思えてなりません。
私は、女性の魅力を一言で表すならば、それは「情」ではないかと思っています。尊敬する天才数学者の岡潔先生は、生前、こうおっしゃっていました。
「この宇宙の本体は、情である」
●岡 潔先生(1901~1978)
情、それは情緒といっても良いかもしれません。物質を構成している不安定な素粒子をなんらかの大きな目に見えない力が束ね導いて物質を生き生きと存在させています。その力を岡先生は「情」という言葉で表現しました。人も生物もあらゆる物質も皆、そう。宇宙は一つのモノではなく、その本体は情。
そこにあるのは、不足を満たそうとする力です。自らに満ち足り溢れ出るエネルギーを他者へと分け与え、さらに他者をも満たそうとする力。
私は女性の存在というものに、この「情」の働きを強く感じるのです。男性が女性から生きる力と喜びをもらい、そこで得られたエネルギーを家庭のため、社会のために還元しようすることで、社会もまた愛に満ち、世界は輝き始めます。
月経というしくみにより天体の周期とつながり、妊娠・出産という現象を通じて生命を生み出し育み、またその発生においても生命の根源的な部分と深くつながる女性には、ことさらこの「情」が強く働いているように感じてしまうのです。
カタカムナ文明における男女の役割の違いを知った時、私はまさに女性の魅力がこの「情」であることの確信を得ました。
女性の身体は、生体電気の発生を促す正孔を多く持ち、次々に電気を発生させることができることから常に高い電位を維持しているという特徴があります。一方、男性の身体は正孔が少ないことから常に女性に触れることを通じて電気=生命エネルギーを自分に取り込まなければならないという特徴があります。
ゆえに男性の性衝動というものは、女性との接触によって不足の電気を満たしたいという生理的な欲求から起こるもので、女性の身体は男性よりも高電位状態にあるため、男性がそれに魅力を感じて女性を追いかけるのは生物の本来的な姿なのです。
特に 唇、 髪、うなじ、 乳房、手指、 足、性器の周辺部分は最も電気が豊富な場所ゆえ、男性がそれらの場所に触れたくなるのは、アマウツシによって次々に発生する電気を追う本能的な衝動と言えます。
セックス本来の目的は、こうして男女が触れ合うことによりそれぞれが自分自身の生命を守り、心身の健康を保つために生体電気の発生を通じて互いの生命エネルギーを取り込み、増幅し合うためなのです。
過去の記事で、私は女性は球体のイメージ、男性は円柱のイメージを持っているとお伝えしましたが、カタカムナ文明においても女性の性器は無重力場=アマの力を宿した相似の球体空間であり、男性の性器は根源意識の意志により生まれた重力意識の力と相似の直線的役割を持っていて、この二つが直角に交わること=交接により生命創造の場が出現すると考えられています。なので、私が以前から抱いていた女性と男性のイメージもあながち間違いではなかったのかなと思います。
古来から日本では男女の性器は神聖なものとして礼拝し合う対象であり、特に女性器は新たな生命を生み出す神聖な場として神格化されていました。現在、日本各地に残る道祖神や性器信仰もおそらくここにルーツを持つものと思われます。
男性ばかりの職場に少数の女性が入ることによって職場の雰囲気が明るくなり活気が起こって仕事の能率が上がるのも、権力者が多数の女性をはべらせて鋭気を養うのも、もとはと言えば女性によるアマウツシの力を欲してのこと。特に生命力が乏しくなる老年期は「元気」の補給が何より大切です。夫婦仲良く寄り添って手を取り合い、慈しみ合って暮らすと、お互いの中で生命エネルギーは交流し、より健康に過ごすことができます。
アマウツシとは夫婦や恋人同士に限ったものではありません。自分と対極にあるものとの交流は全てがアマウツシとなります。例えば、歳をとったおばあちゃんが男の子の孫を抱く。お父さんが幼い娘をお風呂に入れる。異性からマッサージをしてもらう。異性と握手やハグをする・・・、これら全てがアマウツシとなり、人に健康と若さをもたらしてくれます。
その中でも男女が互いに愛し合い融和することによるアマウツシ(=セックス)は特別な意味を持ちます。何もないところにエネルギーが生み出され、新しい生命が誕生する。まさにそこにある受精・妊娠・出産のプロセスは無から有を生むこの宇宙のしくみそのものです。
創造の根本原理である「根源意識」=球体空間と直接つながっている女性が宇宙からインスピレーションを得て、それを男性へと伝え、男性がそれを具体的に「重力意識」=直線的役割を使って現実のものとしていく。いわば、女性が受け取った天の理想を男性がこの地上世界に実現化していくというのが男女の本来的な役割なのです。
世間的には、力の強い男性が弱い女性をリードするというイメージがありますが、生命エネルギー的に言えば、それは逆です。夫唱婦随ではなく婦唱夫随と書くべきでしょう。つまりは、最初に女性がリードし、そのリードに沿って男性が行動することこそが人類の平和へとつながります。今までそれを逆にしてきたからこの世に戦争が絶えないのです。しかし、これは何も女性が世界を支配すべきという意味ではありません。
女性は体質的にも男性より成長が早く丈夫に生まれつき、本当は男性の手を引きながら先に進む役割を持っているのです。この女性のリードが間違えば、家庭も社会も間違った方向へと進みます。それゆえ、女性たちにはこの大切な真実を自覚し、自分を鍛え磨いて自分自身の生体電気を高く維持し、それを周囲に放ちながら男性や子供の人間性の向上に努めていただきたいのです。私たち男性もその愛を受けて、女性を守り、家族を愛し、自分の力を最大限発揮して世のために自らの生命を捧げます。
こうして生じる男女の和合こそ、この世における創造の原点なのです。全ては女性から始まるのです。それゆえ、今回の記事のトップ画像には女性が男性の手を引いている写真を選びました。まさに現実はこうあるべきなのです。
普通、陰陽とは言いますが、陽陰とは言いません。この世のものは全て陰から生じるのです。女性がその創造の立役者なのです。女性の本質は「与えること」にあります。子を自らの体内に宿し、胎児にへその緒を通じて滋養を与え、子が生まれてからは乳房を差し出し、さらに栄養を与える性である女性。そこにあるのは、まさに自らに満ち足り溢れ出るエネルギーを他者へと分け与え、さらに他者をも満たそうとする力であり、「情」であります。
今、世の中が欲し、男性たちが欲しているのはこの「情」なのです。全女性が自らのうちに備わった「情」に目覚め、周囲の男性に愛を分け与え始めた時、きっと世界は大きく変わり始めるに違いありません。女性の魅力は世界を変える力を持っているのです。
こうした女性性の原理、男性性の原理を理解し、男女が互いにその存在を認め敬い始めたならば、自ずとセックスレスの問題は解決へと向かうことでしょう。
長きにわたってお伝えしてきました私の性愛シリーズですが、ひとまずはここで完結にしたいと思います。性愛の世界というのは実に深くて生い茂っています。まるでどこまでも広がる密林のごとく。ゆえに、ブログで気ままに論じるテーマではないにもかかわらず、ほっとくと踏み込んでしまう私(笑)。
それはきっと、生命そのもの、人間存在そのものと性愛との関わりについて強い関心があるからだと思います。本当はまだまだお伝えしていないことが山ほどあります。それについては、現在、原稿を執筆中!年内にKindle Bookから電子書籍として出版したいと思っていますのでご期待ください。きっと、あなたの人間観、人生観が変わります!
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コメント
≪…「根源意識」=球体空間…≫と≪…「重力意識」=直線的役割…≫の[融合]で、数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[数のヴィジョン]になるとか・・・
岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~