人生に過酷な修行は必要か?
天台宗の聖地、比叡山には千日回峰行という難行がある。修行者は最初、結界が決められて、そこから出ずに修行をする。そして、比叡山の峰道を峰から峰へ一日40キロ以上も歩く。比叡山はアップダウンが激しく、かなり過酷。
おまけに千日間の行には、9日間の断食もあり、この時は水も飲んではいけない。普通、人は3日水を飲まないと脱水症状になり、一週間飲まなければ死に至る。
しかも、一度始めたが最後、途中で挫折した時は、持参の短刀で自害する約束がある。相当にヤバい修行である。しかし、このような荒行を完遂しても、煩悩を無くせるかと言えば、NOである。なぜなら、欲は鎮めようとすればするほど湧き起こるものだから。
それは、煩悩=欲が、この肉体を維持し、人間として生きて行く為には必要な欲求だから。といっても、過剰な煩悩は他人に迷惑をかけ、わが身を滅ぼす。
大切なのは、それを知って受け入れ、うまく付き合ってバランスを取る事なのだと、坊さんでもない私は思う。ある意味、日常生活がすでに過酷な修行なのだから。
⭐️ 食べない、飲まない、眠らない。ないないずくしの修行の果てに、人間が辿り着くものは何なのか?比叡山に伝わる超人的な荒行の数々、その美しくも厳しい作品の数々から千日回峰行の実態。世にも稀有な印象深い写真集。
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