奇跡を見せる男
今から60年以上も昔の話です。
オランダに「ミリン・ダヨ」という名の男がいました。
男は、奇跡を見せる人物として世の名声を得ていました。
ここはヨーロッパの、とある都市の大ホール。会場いっぱいの観客が固唾をのんで見守るステージに現れたのは、上半身裸の男。
助手が金属製の剣を男の体に突き刺すと、不思議なことに一滴の血も滴ることなく、剣は体をするりと突き抜けます。しかし、男は痛がる様子もなく、剣が刺さったまま、平然とステージの周りを歩き回ります。
一見すると、これはマジックショーとなんら変わらぬ風景ですが、違うところはただ一点。このショーには「タネ」がないのです。
この男こそがミリン・ダヨ。
彼は、もともと平凡な、デザイン会社に勤めるオランダ人のサラリーマンでした。それが、33歳のある日、突然、天啓を受け、何者も傷つけることのできない不死身の体を手に入れるのです。33歳といえば、キリストが亡くなった年です。
ダヨはそれから、アムステルダムに移り、パブのショーに出演します。自分の体に短剣を刺しても死なないというパフォーマンスです。これは、すぐに評判となり、多くの観客が彼を一目見ようと集まりました。
だんだんと有名になったダヨですが、実は、有名になることもお金を得ることも、彼にとって一番大切な目的ではありませんでした。
彼にとって最も大切だったのは、この世界が、私たちが知覚できる以上の神秘と奇跡に満ちているものであるのを人々に伝えることだったのです。
彼のショーは、第一部がパフォーマンス、第二部は講演というスタイルをとりました。
講演では、観客に向かって、「唯物的な考えを捨てること」、そして、「この世界には人間の理解を超えた神の力が存在すること」を説き、「戦争をやめ、世界を平和に導くには、私たち一人ひとりの意識の目覚めが必要」であると語りました。
彼は、生前こんな言葉を残しています。
「私は芸術家ではない。預言者である。神を信じるなら、自分のカラダを支配することができる。はじめは誰も私の言葉を信じようとしないが、この不死身のカラダを見て、人々は私の言葉を信じるのだ」
●トリックでないことを証明するため、チューブを突き刺し、放水してみせるダヨ。
インターネットのない時代、多くの人々に真理を知ってもらうには、興行師と組んで、もっと大きなホールでパフォーマンスを見せる必要がありました。しかし、そのためには医師の許可が必要でした。
多くの医師が、彼のトリックを暴こうと様々な検査を試みましたが、剣は彼の体を貫通しているという証拠しかでてきませんでした。しかたなく医師は興行の許可を出しましたが、神職でもないのに公衆の面前で神について語ることは、彼に禁じました。
アムステルダムに幻滅を感じた彼は、スイスに移り、そこでのパフォーマンスを試みましたが、事情は変わらず、講演は医師によって禁じられました。
ダヨはどんどん有名になりましたが、これでは、ただの見世物です。講演が出来ないことは、きっと彼にとってよほどのストレスだったに違いありません。そして、1948年5月、彼はスイスの自宅で亡くなりました。
助手の話では、ダヨには、3体の守護天使がついていて、いつもダヨに指示を与えていたということです。ある時、天使は鉄の器具を体に1日100回以上も突き刺すよう命じ、ダヨはそれを助手に命じ、助手は言われるがままに実行しました。
ある日、天使は、ダヨに大量の釘を食べるように、そして、それを医師の立ち会いのもと行い、麻酔を使わずに取り除いてもらうように命令しました。ダヨはそれも実行しました。
しかし、ダヨの依頼に反して、医師は麻酔をかけて釘を取り除いてしまったのです。その10日後、ダヨは亡くなりました。死因は大動脈の破裂によるものだったそうです。その時に限って、ダヨは助手に今回だけは手伝わないようにと命じました。
そのおかげで、助手は殺人幇助で起訴されることがありませんでした。もしかしたら、ダヨは自分の死期を知っていたのかも知れません。
ダヨが奇跡を見せたのは、たった2年間という短い期間でした。ヨーロッパの一部で彼の名声は高まり、多くの観客が彼のパフォーマンスに驚きはしましたが、その後、世界は何一つ変わっていません。
奇跡によって世界は変わりません。世界を変えるのは、私たち一人ひとりの意識です。
そのことを誰よりもわかっていたのが、ミリン・ダヨ自身だったのかも知れません。映像に残るステージ上での彼の表情が、どれも憂いを含んでいるのが印象的で、ゴルゴダの丘ではりつけにされたイエス・キリストと重なります。
ミリン・ダヨとは、エスペラント語で「素晴らしい」を意味する言葉です。彼が望んでいたのは、人々の意識が変わることによって訪れるはずの「平和で素晴らしい世界」だったのではないかと思います。
私は「オランダ」という言葉を耳にした時、チューリップや風車だけではなく、彼のことを思い出してしまいます。そして、彼が望んだ「平和で素晴らしい世界」実現の鍵は、私たち一人ひとりが握っていることに思い至るのです。
私たちは、奇跡を見るのを待ちわびる人ではなく、私たち自身が奇跡を見せる人にならなければならない。
そう感じています。
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