天風先生を師と仰ぐ
自分の中で「師匠」と仰いでいる人が何人かいます。
その中の一人が「中村天風先生」。
天風先生のことを知ったのは、今から20年以上も昔のことでした。ある日、友人から1冊の本を借りたのですが、それは、私が今まで人から借りた本の中で最も高額な本でした。豪華な箱に入ったその本はしっかりと装丁され、さらに薄い紙のカバーがかけられており、価格を見れば「壱萬円」と書かれていました。
タイトルは『成功の実現』。
私は、「よくありがちなタイトルだな・・・」と思いながらも、その本のページを捲って読み進めるうちに、この著者・中村天風が只者ではないことに気がつきました。
文章からにじみ出てくる人柄と器の大きさ、そして、人を感化するチカラのある言葉に数ページでノックアウトされてしまったのです。
さて、その中村天風なる人物はどういう人物なのか。
彼の本名は中村三郎と言います。子供の頃から喧嘩がめっぽう強く、周りから「人斬り天風」と呼ばれ、恐れられていました。いつしか彼は日本軍の軍事スパイとなり、日露戦争で大活躍します。
彼がどれほど強かったかというと、こんなエピソードが残っています。彼は満州で剣の達人とコンビを組んで活動していたのですが、ある日、現地で鎖がまを持った集団に襲撃されます。
その時、まずお前が行けということで、剣の達人が日本刀を持って敵に立ち向かおうとしました。しかし、達人は恐怖心のために剣を持つ手がガタガタと震えだし、思うように動かなくなります。それを見ていた天風先生、これは俺がやるしかないと、大勢の敵をものともせず、びびることなく全員一人残らずコテンパンにやっつけてしまいます。
そんな強い心を持った先生でしたが、戦地で重い結核にかかります。当時、どんな名医に診てもらっても治すことはできず、彼の心は折れてしまいます。そして、名医を訪ねヨーロッパ、アメリカまでも足を運びますが、結果、これは不治の病で後は死を待つのみと悟るのです。
どうせなら、日本で死のうとフランスから日本行きの船に乗るのですが、途中、立ち寄ったエジプトの船内でカリアッパという名のヨガの行者に出会います。その行者、先生を見るなり、結核持ちで死相が出ていることを当てます。そして、「私について来なさい。」と一言。先生はそれに従います。
インドはヒマラヤのふもとで、行者から厳しい訓練を数年にわたって受け、結果、魂の夜明けを体験します。
「わが生命は、大宇宙の生命と通じている」
悟りを得て、病を克服した天風先生は、この後、日本に帰国し、人々に「人はいかにして生きるべきか」その教えを説き始めます。教えの肝は、「積極的精神」と「笑顔」で大宇宙と調和して生きること。
時の総理大臣をはじめ政財界、法曹界のみならず、芸術家、文化人、スポーツマンまで多くの人が先生に入門し、その薫陶を受けました。大げさなたとえではなく、彼の教えは、この国の戦後復興の大きな支えとなったのです。有名な松下幸之助さんも先生の門下生でした。
現在、日本でも定着した感のあるヨガ文化ですが、日本人で一番最初にヨガを伝えたのは何を隠そうこの天風先生なのです。
人々を教化すること50年、先生は92歳で波乱に富んだその生涯を閉じます。
生前にその教えをご自身で綴ったものがいくつかありますが、その一冊がこの『成功の実現』です。心身統一法と日々の暮らしにおける心構えが書かれているのですが、相当にインパクトがありました。壱萬円の価値は十分あり、読後、私は人生に対する心構えが大きく変わりました。
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天風先生がすすめる誦句にこんなのがあります。
「今日一日
怒らず 怖れず 悲しまず
正直 親切 愉快に
力と 勇気と 信念とをもって
自己の人生に対する責務を果たし
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として生きることを
厳かに誓います」
朝起きて、こう自分に宣言するだけでも、一日元気になれます。
本のお蔭で、天風先生を知ることができて本当に良かった。先生について書かれた書物もたくさんあり、色々読んでみましたが、知れば知るほどその人間的魅力に引きつけられます。私自身もこんな風に生きていきたいと目指している心の宝であり、師匠です。
日本を愛し、常にこの国の行く末を案じていらした天風先生。これからの日本人はどう生きるべきか、それを知る手がかりが、彼の教えにはあるのです。
★読むほどに味わい深い天風先生の著書。読み終えると、カラダの底から力がみなぎってくる一冊です。
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