ナナオサカキは宇宙①
忘れられない一人の詩人がいます。
その名は「ナナオ・サカキ」。
彼の詩に出会ったのは、今から20年以上も前のこと。 ヒマラヤのふもとの村々をインドからネパールへと越境するため旅していた時、偶然出会った日本人の若者とお互いに持っていた本を交換したのがきっかけでした。
旅も長くなると、日本から持参した本も読み飽きてしまうため、旅人同士で新しいものと交換することがよくあります。そうして手に入れた数冊の本のうち、裏表紙になにやら詩らしきものが記されている一冊があり、よく読んでみるとそこにはこう書かれていました。
足 に 土
手 に 斧
目 に 花
耳 に 鳥
鼻 に 茸
口にほほえみ
胸 に 歌
肌 に 汗
心 に 風
これで十分
この一文に私は打ちのめされました。
平凡な日常に退屈を感じ、価値あるものは自分の遠くにあると信じて疑わなかった自分。しかし、本当に大切なものはすぐそばに、自分の存在に関わるものすべてにあるのだと、この詩は教えてくれたのでした。
私はこれをすぐに自分の日記に書き写しました。 そして、時折読み返しては気づきと勇気をもらいました。
この詩が放浪の詩人、ナナオ・サカキという人の作品だとわかったのは帰国して何年も経ってからのことです。
早くから日本を離れ、自分の足で世界の砂漠や野山、草原を歩きながら旅し、その軌跡を詩に綴った放浪の人。世界中に友人を持ち、自然と人間を愛しながら精神の自由を謳歌するヒッピーの長老、そして正真正銘のコスモポリタン、ナナオ・サカキ。
あの時手にした本、その裏表紙に書かれた筆跡が詩人本人の手によるものかどうかはわかりません。それが何の本だったかも忘れてしまいましたが、書き留められたこの詩はとても印象深く、いつまでも私に強いメッセージを放ち続けました。
そして、ナナオ・サカキの詩のファンが世界中にいて、彼を招いてポエトリーリーディングなる詩の朗読会を催していると知り、自分もいつか機会があったらその会を企画してみたいと思っていました。
10年前に、実家の車庫を改装し、カフェを立ち上げた時、彼をお呼びするなら今だと思いました。しかし、ナナオ・サカキは所有を嫌う旅の人。携帯電話も持たず、旅から旅への自由人。なので、居場所がつかめません。
ところが、ある時、私がナナオについて、mixiの日記に書いたところ、ナナオならここに連絡してごらんと居場所のヒントを教えて下さる方が現れ、なんと2007年の夏、私たちのカフェでナナオ・サカキのポエトリーリーディングを行うことができたのです。
モノとお金の世の中で、精神は置き去りにされ、世界中の色んな場所で、擦り切れた魂の叫びが聞こえてくる現代。
私たちの心ははたして豊かなのだろうか? 私たちに今、本当に必要なものは「ファンタジー」であり、「ポエム」なのではなかろうか?そんな私なりの提案をイベントで投げかけてみたいと思ったのです。
初めてお目にかかる詩人。お訊きしたいことが沢山ありました。宇宙について、人間について、愛について、旅について・・・それらの問いについて詩人ははたして何と答えるでしょう。
「ねぇパパ、このおじいちゃん、サンタさんなの?」
真っ白なヒゲを蓄えたナナオ・サカキが表紙の詩集を見つけて、娘が私に訊きます。
「そう、パパにとってはサンタさんなんだよ。」
私の答えに娘は不思議そうに首を傾げました。
私はまるでプレゼントを心待ちにする子供のようにそわそわとして落ち着きませんでした。なぜなら、袋いっぱいに沢山の美しい言葉を詰め込んだ、ナナオ・サカキという名のサンタクロースがもうすぐやって来るのですから。 私もかつて海外を放浪したヒッピー族の端くれ。その長老に来て頂くわけですから、ドキドキしながらその日を待ちました。
私たちのカフェに現れたナナオは、長髪の白髪頭に長いひげ。真っ赤なグァテマラシャツにジーンズ、持っているものと言えば、ちっちゃなリュックひとつ。なんだか宇宙人みたいなオーラを放っておりました。ナナオ84歳の夏でした。
ナナオには、我が家へ泊まって頂いたのですが、彼と私たち家族が交流させて頂いた時間は、まるで物語のような、不思議な気づきの連続でした。どんな出来事があったのかは、また次回のブログで・・・
*トップの画像は、グラマリさんのページからお借りしました。グラマリさんも熱烈なナナオファンでした。彼の撮ったこの肖像写真、大好きです。→gramali’s wave
★もうボロボロになるまで愛読しています。ナナオの代表作「犬も歩けば」
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