あるヨギの教え③

インドには摩訶不思議な人物が数多く存在します。
インドの人口12億 人。日本の約10倍にあたります。なので、日本に摩訶不思議な人が100人いるとすれば、インドだとその10倍のざっと1000人はいるわけです。
私も旅の途上で、そんな不思議な人物に出会いました。それが、前回まで記事に登場したヨギです。彼はバラモンという階級に属し、ヨガを通じて宇宙と一体になることを人生の目標としていました。
ベンガル湾を望むプリーという街に滞在した際、偶然彼と知り合い、その後何度も彼とは街で出くわし、その度にさまざまな教えを受けました。彼の話してくれたことは、あれから20年以上経った現在でも、私の中で時々よみがえり、さまざまな気づきをもたらしてくれます。
今回、そんな彼の教えから「けして怒らないですむ方法」を皆さんにお伝えしたいと思います。これ、すごい効き目があります。自分の中で怒りがこみ上げていかんともしがたい時とか、誰かと喧嘩しそうになった時、この方法を試してみれば、あら不思議。怒りが急におさまってしまうのです。
ある日、私は悶々としていつもの通りを歩いていました。
インドに着いてからすでに、6皿のカレーをヨギにごちそうさせられていました。あと1皿でラッキーセブンです。けれど、私の心はラッキーでもハッピーでもありません。
旅行にきている私が、なぜ地元のヨギにカレーを毎回ごちそうしなければならないのか?
おまけに、いくらごちそうしても一度だってお礼を言われたことはありません。いつだって彼は当然という顔をしてカレーを平らげるのです。
ヨギの話は、確かにためにはなりました。しかし、インド人にとって私は旅行者。いってみればお客さんです。そのお客さんである私に対して、ことあるごとにたかるヨギの態度に、とても腹が立ったのです。
かっかと照りつける太陽のもと、私の心もかっかしていました。すると、またあのヨギが通りの向こうから、こちらへ歩いてくるではありませんか。
私は、今日こそヨギに対してその怒りをぶつけ、逆に彼にカレーをごちそうさせようと思い立ちました。
無言のままにらみつけている私に、彼はいつものように笑顔で話しかけてきました。
「ハロー、ジャパニ!(日本人)元気かい?」
「・・・・・・」
「おや、どうした!怖い顔して。ひょっとして腹でも減っているのか?」
「私は、腹が減っているのではない!腹が立っているのです!」
「お前は、何に対して怒っているのだ?」
「あなたに対して怒っているんです。」
「なぜ?」
「ヨギ、あなたは、この年下で旅行者でもある私に、ことあるごとにカレーをおごらせる。
年長者として、そしてバラモンのヨギとして、恥ずかしいとは思わないのですか!」
「おまえ、そんなに怒っていて苦しくないか?」
「そりゃ、苦しいです!」
「おまえは、幻を追いかけている。ゆえに苦しいのだ。」
「まぼろし・・・?」
「そう、幻。もし望むなら、おまえを楽にしてやろう。
とっておきの方法があるのだ。題して、けして怒らないですむ方法!!」
「けして怒らないですむ方法・・・?」
「そうだ。知りたいか?」
「そりゃ、知りたいです。」
「じゃあ、カレーおごって。」
「またですか!(怒)もっと腹が立つでしょ!!」
「じゃあ、今回は条件をつけよう。
もし、おまえがその方法で怒りがおさまれば、私にいつものようにカレーをおごる。
もし、怒りがおさまらなければ、逆に私がおまえにおごるとしよう。」
「いいでしょう!望むところです!」
(飛んで火にいる夏の虫とは、このことだな。ひひひ・・勝負はもらった)
私は心の中でそうつぶやきました。怒りの感情をコントロールできる技術など、この世にあるわけがありません。それから私たちはなじみの食堂へ行き、いつもの席にすわりました。
リラックスした表情で彼が語り始めます。
「そもそも、私たちが知覚し、現実だと信じている世界はすべて幻だ!この幻のことをマーヤという」
「マーヤ?」
「そう、マーヤ。」
この世にあるもので永遠に存在し続けるものなど、何一つない。今存在していると思っている私たち自身でさえ、100年も経てばこの世から消えてしまう。もし、確かに存在しているものがあるとすれば、それは時間を経ても変わらぬものだ。いつか消えたり、変わったりしてしまうもの、それらはすべてマーヤ(幻)なのだと彼は言います。
そのマーヤであるところの私たち自身から生じる、怒り、喜び、憂い、嫉妬などの感情もまた、現れては消えていく幻のようなものではないかと。
「私の怒りもマーヤなのですか?」
「その通り。おまえが怒りの対象としているこの私自身もマーヤなのだから、
おまえが私に怒るということは、幻が幻を怒っているようなものだ。
ばかばかしくはないか?」
「・・・・・」
「幻であるからには、いつかは消え去る。
おまえがいつまでも掴んで離さない限りはな。」
「・・・・・」
「もう一つ付け加えるなら、怒りの感情は分離意識から来る。」
「分離意識?」
「そう。分離意識。」
生命とはもともと一つのものである。これをインドでは、ブラフマンと呼ぶ。「大我」とか「真我」とも呼ばれ、万物を生み出した宇宙の根源である。この生命が肉体のカタチをとり、個々に分かれたものがアートマン=「小我」である。
このアートマンとブラフマンを、人生におけるさまざまな経験を通じて合一させることがヨガの最終目的であり、解脱と呼ばれるものなのである。
しかし、私たちは時々、この生命がひとつであったことを忘れてしまう。他人と自分が別々のものだと錯覚してしまうのだ。この意識が強まったものを「分離意識」と呼ぶ。これが強まってしまうと人はけして幸せになることはできない。
人と自分が同じ生命を共有するものだとすれば、人に対して怒ることは自分に対して怒ることであり、人に対して施すことは、自分に対して施すこととなる。すべては自分に返ってくる。
「で、怒らないですむ方法とは、どのようにするのですか?」
少々ウンチクが過ぎるヨギに多少いらつきながら私がそう尋ねると、
「うむ。では、口をぽかーんと開けなさい」
「口をぽかーんと開ける?」
「そうだ。このように」
その時、とろんとした表情で口を開けたヨギの顔が、少し坂田利夫に似ていて私は吹き出しそうになりました。
「素直に言う通りにしなさい!」
「は、はい・・・。」
ヨギの指示に従って、私も口をぽかんと開けてみました。そしてしばらくすると、心身がだらんとしてゆるんでくるのが感じられました。
「どんな感じがする?」
「・・・・・・不思議と緊張がゆるんできます。」
「よろしい!正解。
この時、ゆるまないのは、口を大きく開けすぎているか、開け方が足りないかのどちらかだ。
ゆるんだおまえは合格だ。」
「次にどれくらいでゆるむのかを意識し、その時間を縮める努力をするのだ。
例えば、10秒かかるところを3秒くらいでゆるむようにするのだ。
これは、何度も繰り返すと、縮められるようになる。やってごらん。」
「はい・・・」
確かに十数回繰り返すうちに、ものの数秒で心身がゆるむのを感じられるまでになりました。
「よろしい。では次に、今までの人生で腹が立ったことを思い出し、
その怒りの気分を感じたまま、口をぽかんと開けてみなさい」
「はい・・・」
私は昔の記憶の中から、あらぬ罪で学校の担任に叱られた記憶、信じていた友人に裏切られた記憶などを思い出しました。すると、昨日のことのように怒りの感情がむくむくと心にわき起こってきました。しかし、口をぽかんと開けてしばらくすると、不思議とその怒りの感情は弱くなっていき、最後にはどうでも良くなってしまいました。
「どうだ?怒りは弱まるか?」
「・・・なんとなく、弱まる気がします。」
「次に怒りの対象である私を見つめ、怒りなさい。そして、口をぽかんと開けなさい。」
「はい・・・。」
「では、私もおまえにつきあおう。」
食堂でぽかんと口を開け、しばし向かい合う二人。私は、このシチュエーションが急におかしくなって、思わず笑い出してしまいました。
「どうだ?怒りはおさまったか?」
「そのようです。」
「これからのおまえの人生において、怒りが心を占領しそうになった時、この技を使いなさい。
必ずやおまえは怒りに打ち勝つことができる。この技は、大きな人生の宝となるはずだ。」
「・・・はい。」
「では、お昼にしよう。マスター!ほうれん草カレー2つ!」
結局、この日私は、彼に7皿目のカレーをごちそうしました。飛んで火にいる夏の虫は、私のほうでした。
でも、いつものようにいやな気はしませんでした。
確かにあれは、ラッキーセブンだったのかも知れません。
あれ以来、過去の腹が立つ思い出とは完全に決別でき、新しく腹の立つ出来事が起こったとしてもこの技を使えば乗り越えられるようになりました。ヨギからは、この怒らないですむ方法はじめ、色々なことを教わりました。またいつか機会があれば、ブログでご紹介したいと思います。
これから皆さんがどこかで私を見つけた時、もし、口をぽかんと開けていたとしたら、私は怒っているのです。そんな時は、心静かに、合掌して下さい。
<おわり>
★怒りについて書かれた本は少ないけれど、これは圧倒的な出来栄え。著者は医師で、怒る人間の心理について知りつくしています。活用できる一冊です。
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