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宇宙意識とは何か?それは神?それとも自分?

宇宙意識とは何か?それは神?それとも自分?

まだ私が若い20代の頃、人間がなぜ生まれ、死んでいくのか?その答えを知りたくてさまざまな霊的覚者と呼ばれる方々や宗教家の先生に会いに行って話を聴いた。それぞれの主張は異なるものの、根本の部分は何か共通するものがあって、しだいに自分の中に腑に落ちる考え方が生まれた。それはこの宇宙には「宇宙意識」という存在が確かにあるに違いないという確信だ。今回はその「宇宙意識」をテーマに書いてみたい。

宇宙意識は神意識

ニューエイジ系のリーダーやスピリチュアルの世界では、よく宇宙意識という言葉を耳にする。しかし、この宇宙意識について本当はそれが何であるのかを正しく理解している人は少ないのではないか。「宇宙」という言葉本来の意味は「すべての時間と空間のこと」となっているが、それそのものは「意識体」である。それは物質ではないため、時間や空間を超えて広くあまねく存在する。それはまるで自由自在で無限な神のような意識。ゆえに「神意識」といってもいいだろう。

それに対して私たち人間個人は、もっと限定された意識の世界に棲んでいる。これを「自我意識」といってもいい。神意識に比べるともっと小さくて限定的で不自由でエゴの塊みたいな意識だ。意識というのは本当は自由なものなので、自分が何者であるのかは自分で決めることができる。自分を宇宙だと思っている人は宇宙意識の人といえるし、自分を個人だと思っている人は個人意識の人といえる。

でも、深く深く考えてある種の悟りに達してしまうと、もうこの世界に個人なんていうものはないのだとわかる。ただ宇宙があるのみなのだ。単に「自分は個人なんだ」と信じ込んで、勝手に限界や制約をもうけているにすぎないのだ。こういうと、ほとんどの人が「?」という顔をする。もう一度問うてみたい。

「あなたの正体は個人でしょうか?それとも無限宇宙なのでしょうか?」

実在しているのは宇宙のみであるにも関わらず、人間が勝手に個人という制約をもうけているだけなのだ。自分が個人であるという制約を自ら造って、自縛しているのだ。

人間の人生は一粒の海の泡

あるのは無限の宇宙のみ。個人というのは、その無限宇宙の現れの一つであるにすぎない。個人は無限宇宙の仮りの姿、個人は仮相、それに対して無限宇宙が実相となのだ。にも関わらず、多くの人はこの仮相という個人を見て、無限の宇宙を見ていない。それゆえ、自分を宇宙だと思っている人の意識を宇宙意識といい、個人だと思っている人の意識を個人意識というのである。これは私たち人間がモノゴトを正しく見れてないからにほかならない。正しく見るとは、対象をこの五感を超えた心の目で見ることだ。

人生なんていうものは、まるで海の上に浮いている泡のようなもの。泡は大海から生まれ、また消えれば大海へと戻る。大海に戻れば一個という泡の区別はなくなり、大海という無限の存在に溶け込むだけだ。しかし真理を知らない人は、人間は泡そのもので、自分を一個の独立した存在であると考え、泡が消えると同時に自分も死ぬと思っている。決して、自分は大海から出て再び大海へ還るものとは思っていない。

けれども人間の側がどう考えようが、泡が大海から生まれ、大海へ還る事実は変えようのないものだ。そう考えると、泡の本質は即、大海であり、無限宇宙であり、一粒の泡は大海の仮りそめの姿なのだ。個人は仮相で、無限は実相。実際に存在するのは、泡ではなく大海のみなのだ。

無限と普遍の領域に意識を遊ばせる

なぜ人は、個人という制約をもうけるのだろう? なぜ人は、この個人という思いを捨て切れないのだろう?

この宇宙には無限大のエネルギーと質量とが遍満していて、人間はその無限大のエネルギーと質量とで成り立っているのだから、個人は無限の仮りの姿でしかないのに。巨大な天体を動かしているのもこの力だし、私たち生物に生命を与えているのもこの力。そこには無限しかないのに。個人の本質も即、無限。絶対に個人が無限から離れることはできないのだから。

本来すべてのものは切り離すことなどできないはずで、切り離されたエネルギーも、切り離された質量も存在しないし、そこにはただ無限から生じる普遍的質量とエネルギーしか存在しないのだ。

だからこそ、正しくは私たち自身が即普遍であり、我即宇宙、我即無限なりなのである。無限というのは悟りで、個人は迷いとなる。なのにどうして無限大の自分を小さな個人と制限してしまうのか。意識はエネルギーであるから、「自分は個人」と思った瞬間に制限となり制約となる。無限を閉ざすことと、神を閉ざすこととは同じだ。神は無限であり、普遍であり、在りて在るもの、全ての全てなのだ。

自己の意識を解き放つ

無限大の自分を知って自己を解放することこそ、今の時代に急務である。自己解放というのは、この個人を無限に解放することをいう。自分で「無限だ」と思った瞬間、それが自己解放になる。逆に「個人」だと思った瞬間、自縛が始まる。正しく思い正しく念じるというのは、我無限なりと思うこと。

本当の自己解放、それは自分でしかできない。 他力本願ではいつまで経っても真に自分を解放することはできない。個人を無限に返すことを、天に返すという。無限のことを天といい、個人のことを地という。個人と無限はもともと一体であり、分けることができないもの。

現に今、私たちは無限の中に存在している。無限に外と内との区別はない。個人でもない、肉体でもない、人間でもない、無限そのものが私たちの存在の本質。人間の多くが「個人」と見てしまう理由は、視覚を通じてその姿形を見るからだ。しかし、心の目でその本質を見れば、即無限なのだとわかる。

正しくものを見るということは、個人を自分として見るべきか、無限を自分として見るべきか、どちらだろう?もうここまでお読みいただければ答えは明白、自分を個人と見ている人は誤りで、無限を見ている人が正しい。真理に到達した人は、自分を無限と見る。そこに本当の自分を見るからだ。

宇宙即我、我即宇宙

真我(神我)到達は無限への到達であり、個人意識は迷いで、宇宙意識は悟りとなる。悟った人は、自分は個人とはいわない。「宇宙即我、我即宇宙」という。

過去にそう語る人に出会った。合気道の宗主・植芝盛平翁と白光真宏会の開祖・五井昌久先生である。私も人生の半分をすでに生きた。これからはそこを目指したいと思う。

悟るも迷うも自分次第。あなたを迷わせているのは、あなた自身であって、誰もあなたを迷わせている人はいない。だから本来、迷いというものはこの世に存在しない。悟りだけが絶対実在なのだから。このようにして宇宙意識について考えを深めていくと思考がどんどんと大きなものにフォーカスされて、いつの間にか時空を超える。

 

 ⭐️ 1994年刊の古い書ではあるが、工学博士でサイ科学会会長だった関英男博士が見聞きした事実まとめた興味深い内容。発刊からすでに30年近く経過しており、当時の精神世界周辺のムードを窺い知ることができる。精神世界・オカルト・心霊分野を科学で解き明かし、統合したいという熱が伝わる。今でも参考になる内容は多く、読み物としてもかなり面白い。

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感想(1件)

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