現代の家族が抱える介護問題について考える

老いと介護

 

モノゴトはすべからく変化していきます。自分も歳をとり、親も歳をとり、この頃「老い」という問題について考えています。

家族に病人がいると、互いにイライラし、疲れ切ってしまうなんてことがあるかと思います。特に家族の中に介護を必要とする人がいる場合、本来仲が良いはずの人同士でも、うまくいかずに付き合うのが困難になってしまう、なんてことがあると思うのです。

人間のカラダというのは、お互いの関係性の中でエネルギーが交流し、影響し合い、より元気になったり、より衰弱したりするものですから、家族関係によっては病状が長引いたり、ひどい場合はさらに別の病気を招いてしまったりすることさえあります。そんな状況の中、もしあなたの家族が治らないとわかっているような深刻な病気になった場合、どう接するのが一番良いのでしょう?




■人間関係の難しさは家族間でも

長期にわたって病人と接しなくてはならない介護は、深刻なストレスを生みやすく、病める本人と、介護する家族の双方にとって大変負担のかかる問題です。

現代という時代において、病人と家族、互いのストレスが大きく増している背景には、昔と比べて介護に関わる人の範囲が狭くなっていることに要因があるのではないかと思います。

というのは、今は子供の数が少ないので、夫婦はもちろんのこと、親子でも一対一の小さな単位で接することが多い。家族間におけるお互いの密度が昔とは比べ物にならないほどに高くなっているのです。

それゆえ、老人介護はもちろんのこと、家族の誰かが病気になった場合でも、適切な距離感で接するということがなかなかに難しくなっているのです。

 

■現代の介護には中間のちょうど良い地点がない

「仕事があって忙しいから介護なんてできない」と、最初から全面的に医療機関に任せてしまう人がいる一方、なんでも一人で一手に引き受けて様々なものを抱え込んでしまう人もいます。介護については、なんとなくこの両極で中間的なちょうど良い地点を見つけにくい状況にある。こんなところにも私は時代的な問題を感じてしまうのです。

介護は、完璧にやろうとすれば、する側の方が壊れてしまいます。病気の人が亡くなったとしても、カラダを壊してしまったり、精神的なバランスを崩してしまう人を私は今まで多く見てきました。

昔に比べて現在のほうが救命率が高くなった分、退院後の自宅介護の割合も増えています。最近であれば、がんなどの場合でも入院期間が意外に短く、病院での治療が終わってから自宅で療養する例も多いです。

介護の期間が限定されて数ヶ月の間というのであれば、それほど問題はないのかもしれません。しかし、実際は介護が何年にもわたることも多く、中には大変厳しい病状の方も少なくないようです。こうなれば、家族は24時間体制で病人を看ることを強いられます。

胃がんを宣告されて、余命1年と言われたところ、手術どころか抗がん剤も拒否して、最後まで今まで通りに過ごしたいと、仕事を続けながらその後5年間もがんばって生きた人がいました。

本人は希望通り余命を生き切り、充実した人生を生きられたからきっと満足されたことでしょう。しかし、そのご家族の苦労や負担には想像を絶するものがあります。その人を見送られた後、周りの家族はすっかりくたびれ果て、病気になってしまいました。

 

■整体の観点から「介護」を考えると

介護というものを、整体の観点から捉えた時、一番大切なことは、病人の心の要求に沿った方向へと「心を集中してくれる人」が側にいることであると思います。

「心を集中する」と言っても、「治してやろう」とか「私が頑張って〇〇してあげる」という気張ったことではありません。それは治療や介護ということではなく、「病人にとって適切な気遣いができる」という意味です。すなわち病人のそばにいて、淡々と毎日を支えてあげることなのです。

言葉で「大丈夫だよ」と言うのも、もちろん悪くはありません。しかし、病める人のそばに一緒にいてあげることで、生きている人間同士のカラダの間に生じる「共感」や「共鳴」のようなものこそが、病める人にとって一番の生きる支えとなり、安心のもとになると私は思うのです。逆に言えば、それ以上の余分なものなどいらないのではないか。

気の共鳴というものは、相手と自分の間に同時に起こるものであります。この「繋がり」を体験した時に、人は一人以上の何か、「生きる元気のもと」となるようなものが生まれてくるのです。

 

■一生懸命になりすぎないということ

「早く治って欲しい」、そうした思いは理解できます。誰だって愛する人の健康を願わずにいられないのは当たり前のことです。しかし、そうした思いが強すぎる場合、時に相手を精神的に過敏な状態に追い込むことになるのです。

例えば、あなたが赤ちゃんやペットを抱こうとする時、「何かしてやろう」とは思わないでしょう。ただふわっとした感覚、心の集中だけがそこにはあります。そんな、なんら身構えのない状態で病人と接するのが一番ではないかと思います。もし、あなたが病める人の立場であったとしても同じように感じませんか?

介護で大切なことも、やはり一生懸命になりすぎないことだと思うのです。それでは看る側も疲れるし、看られる側だってだんだん申し訳なく、苦痛になってきます。

家族に慢性病を患っている人がいる場合、ついつい面倒を看すぎてしまうケースがあります。不安な気持ちは理解できるのですが、必要以上に看すぎれば、世話する側とされる側の関係がゆきすぎて互いに苦しくなってしまう例をいくつか見てきました。

もちろん、寝たきり老人の介護のような場合は、物理的な協力もより必要になることは確かですが、面倒見の良い優しい人ほど、どこまでしてあげてもまだ足りないような気がして一人で負担を抱え込んでしまいます。

こんな時代ですから、できるだけ家族以外の人の協力も得て、一対一にならないほうが「気持ちの良い状態」を維持していけると思います。看る側も看られる側も、双方にとって気持ちの良い状態こそは、長期的にみて良い関係を築き、生きることの喜びを感じられる大切な要素であると思うのです。

 

■整体から見る新しい「老い」の地平

人は生まれて、成長し、老いて、死すもの。健康という問題を考える上で、この「老い」の問題は欠かすことができない一大事であると遅ればせながら気づきました。

またいつか「老い」や「介護」について折に触れ、書き綴ってみたいと思います。長年、治療家という仕事を通じて多くの人の心とカラダの問題、老いの問題を見てきました。整体という観点から「老い」を考えた時、新たな地平が見えてくるかもしれません。

どうぞよろしかったらおつきあいください。

 

 

⭐️ 老いは突然やって来る。それはあなたにも、家族にも。やがて来るその日のために用意すべきは落ち着いた心と必要な知識。静かな心で受け入れられたなら、老いはもはや脅威ではない。自然のプロセスの中で迎える福音だとわかります。

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