人間関係も関節も間(ま)が大切です。

カラダの哲学

 

自然の造形物というのは本当に素晴らしい。そこには合理的でムダのない機能美というのもが存在します。私たちのこの肉体もそんな自然が生み出した造形物の一つです。

それらのパーツをよくよく眺めて見ると、ある種の「メッセージ」を読み取ることができます。メッセージを読み解くと、そこには大切な「教え」があり、活用できる「哲学」があります。だから、カラダは、いつだって私たちの先生。

そんなカラダから学んだあれやこれやをお伝えしている「カラダの哲学」のコーナー。今回は「関節」「間(ま)」についてお話いたします。




■関節、その優れた自然のデザイン

私たちのカラダには、「関節」が存在します。それらは分類の方法によっても異なりますが、その数およそ250~350箇所ほどにもなると言われています。それらの関節は、硬い骨と骨どうしを結びつけ、自由な動きを生み出し、時には動的に、また時には静的に、姿勢が美しく保たれるように日々働いてくれています。

そうした関節の中でも、大きく動く関節ほど、骨と骨との間隔はぴったりはくっつかずに適当な距離を保ちつつ、骨どうしがが直接ぶつかってすり減ることがないようにうまくデザインされています。

けれども、自然界の法則の一つである「重力」を敵にまわして、良くないカラダの使い方を長く続けてしまうと、せっかくの優れたデザインもうまく活かされず、様々な不調を招いてしまいます。

 

■膝の水は関節を保護するために溜まります

例えば、膝関節。これほどまでに大きく丈夫に見える関節でも、良くないカラダ使いを長く続けてしまうと、骨どうしの間隔が狭くなり、それがぶつかって結果的に骨がすり減り、炎症を起こして、しまいには変形してしまいます。これが世に言う「変形性膝関節症」ですね。

膝に負担がかかると、関節がスムーズに動かしたり保護のためにつくられる「関節液」が自然と関節周囲にたまって変形している関節を守ろうとします。これが「膝に水がたまる」と言う現象です。

しかし、あろうことか多くの人は、「膝に水がたまった」と慌ててこの保護剤でもある関節液を病院で抜いてもらいに行くのです。もちろんこれで良くなることもありますが、根本が改善されない場合はしばらくするとまた水がたまります。そして、再び抜いてもらうということを繰り返すわけです。そうしていくうちに変形はますます進んで、膝関節そのものも弱くなってしまいます。

 

■古くから間合いを大切にしてきた日本人

骨と骨との間には、適正な距離=間(ま)が必要なんです。でも、これってどこか人間関係にも似てませんか?

お互いに距離が近づき過ぎればぶつかり合って傷つけ合って心がすり減ってしまいます。逆に距離が遠過ぎれば、間隔があきすぎて用が足りません。人間どうしの付き合いだって、この関節が動く仕組みにとても良く似通っているのです。

日本人は、かつてこうした人間どうしや物どうしの関係性を「間(ま)」という言葉を用いてとても上手に表現してきました。あなたはそうした「間」を使った言葉をいくつ思い出せますか?

 

例えば・・・

 

●「床の間」  これは、家におけるたいへん加減の良い空間のことを表しています。

●「世間」   間をはかり合う人間たちの集う社会を表します。

●「間一髪」  間が近すぎて、生命の危機にさらされた瞬間を表します。

●「間合い」  自分と相手との距離、空間を表します。

 

人間のパーソナリティーを表す表現としては次のようなものがあります。

 

●真面目   (=間締め)とも書く。近づき過ぎて融通がきかない状態。

●間抜け    本来あるべき距離=間がなくなってしまった状態。

●間違い    本来あるべき距離=間を読み違えてしまった状態。

 

■人間関係において間合いは案外難しい

夫婦関係でもそうだし、友人関係でもそうですが、親密さを求めてお互いの間合いを詰めすぎると、どうしてもその関係性は重くなるし、鬱陶しくなってしまうものです。仲の良さと間合いの近さというのは必ずしもイコールではないのです。

新婚みたいにいつもベタベタ、ラブラブというのではないけれど、気持ちが通じ合って仲が良くお互い不満もない夫婦。これを間合いの良い夫婦と言います。かと思えば、逆にいつも一緒でなければ気がすまず、けれどいつもギクシャクし、お互いをお荷物のように感じているカップルもいます。仲が良いようには見えないし、本人たちも「パートナーは私をちっとも理解していない」なんて不満を漏らしたりしている。

このような現象は、どんなに小さなコミュニティーにおいても起こります。近い距離を求めてはいるけれど、絶えずもめ事が起こり、充たされた気持ちになれない人間同士。

ただ闇雲に間合いを積極的に詰めていくのは、処世術としてあまり優れた方法とは言えません。むしろ失敗が多く、迂闊にやると相手に「重い」と思われてしまう可能性が高いです。なかには、相手が「重い」と感じる前に間合いを詰めきってしまう人もいるけれど、そんな人でもいずれは相手に「重い」と感じさせてしまいます。

なので、相手との間合いを詰める行為には相当な注意深さが求められます。もっと言えば、間合いが近ければ近いほどコミュニケーションをコントロールする難易度は高くなります。コミュニケーションの上手くない男性と女性が、無理に間合いを詰めてしまう例をたまに見かけますが、総じて良くない結果に至るようです。コミュニケーション能力に自信がない人こそ、心理的な間合いや接触する頻度には、よくよく注意を払う必要があります。

 

■関節を手本に「間合い」を極めよう

武道や格闘技においてもっとも大切なものの一つがこの「間合い」です。これは単に距離を表すだけではありません。大きく分けると、間合いには3つあります。

 

●距離的「間合い」

●時間的「間合い」

●心理的「間合い」

 

このうち、距離的な間合いが遠いと、物理的に突きや蹴りが相手に届かない。逆に近すぎると威力は半減します。また、時間的な間合いも、ある意図を持って活用するとその効果は大きくなります。宮本武蔵が佐々木小次郎との戦いにおいて約束の時間を遅らせたことによって小次郎の集中力を削ぎ、勝利した話は有名です。心理的な間合いは、自分と相手の虚実が大きく関係します。自分に自信が満ちていれば自信のない相手に勝つことは容易になります。

これらは武道の世界だけではなく、ビジネスや生活の様々な場面で活用できそうですよね。極真空手の創始者である故・大山倍達氏は、生前こんな言葉を残されています。

 

「相手によって接する距離を調整できる人は、人間関係の達人であり、間合いの達人です」

 

●極真空手総裁 故・大山倍達氏

画像はこちらのサイトからお借りしました。http://kuroobi.info/knowledge2.html

 

それは確かにその通りでしょう。親しくもない相手に馴れ馴れしく接したり、親しい間柄にも関わらず変に遠慮したり、上司に向かって生意気な口の利き方をしたり、部下に向かって思いやりもなしにやたらと感情をぶつけたり・・・

やはり、相手をよく見て自分との関係を考え接することが大切です。間合いは時間の経過とともに変化したりもします。そんな微妙な間合いをよく知ってコントロールできるようになれば、人間関係においても達人になれるということです。これは、言葉だけじゃなく、態度や表情、すべてに当てはまりますね。

・・・ちょっと待てよ。もしかしたら、それは文章やブログにも当てはまるかもしれない。ブログの文章だって短過ぎても長過ぎてもよろしくない。読みやすくわかりやすくを心がけなきゃね。

そんなわけで今回はこの辺にしておきましょう。

美しく滑らかに動く関節をお手本にしながら、人間関係においても適正な間を保ちつつ、お互いちょうど良い間合いで充実した時を刻んでまいりましょう。

 

 

🌟 学校でも会社でも「間合い」について教えてくれる人はいません。だから、実践で学ばなければいけないわけですが、こんなガイドブックがあったなら、随分と救われる人がいると思うのです。上達はその道の達人に学ぶに限る。間合いにおいてもそれは言えます。今、人間関係で悩んでいる人はぜひ!

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