人生の役割とは何か?〜生徒を持つこと、先生になること

マクロビオティック

 

人は、生まれてくる時、何も持たずにお母さんのお腹から出てきて、家族と出会い、成長して恋をし、愛を体験して、社会で何かをなし、やがて年老い、再びあの世へと帰ってゆきます。

さまざまな出来事や人と巡り合う中で、多くを学び、自らの魂を成長させていくわけですが、その学びのプロセスにおいて最も大切な「キーワード」となる「あるもの」があります。

私たちは生まれてから「あるもの」を持たされ、それを通じて世界を知り、人を知り、自分自身を知ります。そして、この世からお別れする時には再び何も持たない自分に戻ってあの世へと帰って行くのです。

人生はよく「お芝居」に例えられますが、この「あるもの」なくしては、お芝居も成り立ちません。さて、この「あるもの」って一体何だと思われますか?

 

・・・先日、東京のクシ・マクロビオティック・スクールで講師を務めさせていただいた時間の中で、私はふと、その大切な「あるもの」が何であるのかに気がついたのです。

今回は、そんな「ひとつの気づき」についてお話したいと思います。




■人は「役割」を通して人生を創造する

私たちに与えられたその「あるもの」とは何か?

 

・・・あるものとは「役割」です。この人生を考えた場合、私たちはある種の関係性の中でそれぞれに与えられた「役割」を演じ、その役割を通じて世界を見、そこで起こる出来事からさまざまなことを学びながら日々、成長していきます。

世の中にはたくさんの役割があります。人間という役割、男という役割、女という役割、親という役割、子という役割、農家という役割、漁師という役割、料理人という役割、大工という役割、会社員という役割、教師という役割、商人という役割、技術者という役割、建築家という役割、芸術家という役割、警官という役割、消防士という役割、自衛隊員という役割、法律家という役割、政治家という役割・・・実にさまざまで数え切れないほどです。

人は、その役割を通して自分自身を表現し、その目的とするところへ向かっていきます。そのことにより社会は、より良く豊かなものになっていくのです。これはとてもよくできたしくみです。

例えば、私自身を例にあげるならば、女性から見れば男であり、子から見れば親であり、兄弟から見れば長兄であり、社会においては治療家という役割を選んで、日々その目的遂行に向かって生きています。

男の目的は女性を愛し守ることであり、親の目的は子を育て立派な大人にすることであり、兄の目的は兄弟をまとめ調和させることであり、治療家としての目的はクライアントさんの苦痛を少しでも軽減し、本来の生き生きとした心身を取り戻すお手伝いをさせていただくことにあります。これらを一生懸命取り組むところに私自身の魂成長の鍵があるのです。

そもそも、この世における人間の「迷い」がどうして起こるのかと言えば、これらシンプルなそれぞれの役割の目的とするところを忘れてしまうことにあります。だから役割について自覚するのはとても大切です。

 

■父の不安と私の名前

そんな自分に新たな「先生=教師」という役割が追加されることになるとは、若い頃の自分は思ってもみませんでした。

私が幼い頃、父が占いに凝ってしまい、何でもかんでも専門家にみてもらわないと気がすまないという時期がありました。ある時、小学生だった私が、うちに届いた古い年賀状の束を手にとって一枚一枚眺めていると、そこに見慣れない宛名を発見して不安になったことがあります。

父の本名は「宮本邦雄」というのですが、そこには「宮本正和」とか「宮本国旺」とか「宮本英樹」とか、うちの家族に存在しないはずの名前が母の名の隣に書いてあるものが何枚も見つかって、私は思わず、母が何度も再婚するほどの浮気者であったのかと思い、大人の男女関係の複雑さに心を痛めました。

ある時、どうしても耐え切れずに母にそのことを尋ねると、それは父が姓名判断に凝って何度も改名したことがあったからと答えてくれて私は安堵しました。しかし、同時に驚きもしました。父は短い間に実に4回も改名しているのです!しかも、自分の名前だけでなく、私の名前まで!

私の本名は「宮本直彦」なのですが、そういえば小学校低学年の2年間を「宮本直幸」として生きた過去がありました。周りからも「なおゆき」と呼ばれていたし、その頃、学校の図工で描かされた作品にはちゃんと自分で「なおゆき」とサインしてありました。父にそのことを問いただすと、そのほうが人生が開けるからと姓名判断の専門家から言われたからというのが理由でした。

父は、よほど自分の人生を自分自身の力で切り開くことに自信がなかったのでしょう。

 

■霊能者が見た私の未来の姿

私が子供の頃、そんな占いマニアの父が、なんでもピタリと当たると評判の霊能者に、私の将来の職業を尋ねたことがあったそうです。霊能者の答えは「先生=教師」でした。

そのうち、美術に興味を持ち、美大受験のため専門の予備校に通うようになった私をみて、父は「息子は将来、学校の美術の先生になるのか、霊能者の見立てはやはり当たっていた」と思ったそうです。私も父からその霊能者のことは聞いていたので、自分の美大受験は合格する運命にあるのだなと勘違いし、安心して遊びまくったところ受験に失敗、あえなく不合格。

「占いなんて、所詮当たりゃしない」とやさぐれた私は進路を変更し、治療家の道を目指すことになったのでした。

しかし面白いもので、その後、久司道夫先生ご夫妻をきっかけとするマクロビオティックとの出会い、パトリシオとの出会い、アルソアさんとの出会いを経て、山梨県小淵沢でボディワークのクラスを担当させていただくこととなり、若い頃には思ってもみなかった新たな「先生=教師」という役割が私の人生に追加されることになったのです。

その後、先生という役割を通じて、どれほど大きな学びと気づきをいただいたことでしょう。きっと、あの霊能者にはボディワークのクラスで「生命の不思議さ」を生徒さんたちに伝えようと奮闘する私の姿が見えていたのかもしれません。

 

■新しく与えられた「先生」という役割

人と人との間には、いろいろな関係性がありますが、「先生と生徒」という関係もとても面白いものです。

それは、親子ではなく、友達ではなく、そしてもちろん恋人同士というのでもありません。けれども、不思議な親しみと懐かしさ、一定の距離を保ちながらも、情が行き交う独特の関係性がそこには存在します。

私もKIJで講師という役割を与えられてから7年ほどの間に、200名以上の生徒さんたちとご縁をいただき、先生という役割の難しさと喜びの両方を教えていただきました。今でも、緊張しながら初めて教壇に立った日のことをよく思い出します。

私があまりに緊張するため、心配するスタッフさんが何人も教室の後ろの方で見守る中、あがってしまって声が上ずりながら必死で講義をさせていただきました。その時は孫を不安げに見守る祖父母のような目をしたスタッフさんの表情だけが記憶に焼きついていて生徒さんの顔は記憶にありません。それでも人間は慣れるもので2度3度と回を重ねるごとに、少しずつ受講生の表情を観察しながら話ができるようになっていきました。

教壇というのは、生徒さんたちのことが実によく見える場所なんですね。先生が生徒さんたちを見る視点てこうだったのかと驚きました。目をキラキラと輝かせながら話を聴いてくださる方もいれば、理解不能といった表情で眉間にしわを寄せ首を傾げている方、スヤスヤと気持ちよさそうな寝顔で鼻ちょうちんこさえながら船を漕いでらっしゃる方などさまざまです。

基本的に私の講義は、「心とカラダに関すること」をテーマに体験したことを自由に話して良いということだったので、テキストにない私なりの生命観をお話しさせていただくことが多かったです。それゆえ、東洋医学的な話のみならず、時に音楽や文学を含む芸術論や、宇宙論、量子論などとテーマが頻繁に飛んでしまい、生徒さんたちにとって理解していただくことが難しい講義だったかもしれません。私はそこで、言葉を通じて人さまに「情報」や「考え」を伝えることの難しさを知るのです。

 

■2-6-2の法則を知り、救われた私

私の話は、時に主観的な観念論や哲学的深みに入ることがあり、多くの受講生を混乱させることがあるように思います。「先生の授業は難しくてよくわからない」とか、「先生の話には憤りを覚えます」と言ったストレートなお声をいただいたことがありました。

私自身は、毎回真剣勝負でクラスに臨んでいます。できるだけ通り一遍の話や世間一般の常識的解釈を避け、生徒さんたちが精神の自由性に気づかれ、魂が歓喜するような内容をお伝えしたいと思い、体当たりでぶつかっていたつもりなのですが、それがうまく伝わらず、誤解を生じて、こともあろうに受講生を怒らせてしまった事実にはかなり凹みました。

 

しかし、そんな時、「2-6-2の法則」というのを知ります。

これは人材育成や営業支援といったビジネスシーンで使われることの多い法則なのですが、よくアリに例えて話されます。こんな感じです。

 

一般的に働き者という印象が強いアリですが、実際には、集団全てのアリが働いているわけではなくて、2割のアリはものすごくよく働き、6割のアリは普通に働き、必ず2割のアリたちはフラフラと遊んでいるというのです。

そこで、この怠け者のアリたちを集団から排除してみると、怠け者不在で全員がせっせと働くものかと思いきや、しばらくすると、残ったアリのやはり2割程度がさぼり始めるのです。

逆に、働いている上位2割の働きアリだけを各集団からかき集めて、1つのスーパー集団を作ってみます。このスーパー集団、ものすごい勢いで仕事をするだろうと思われるでしょ?ですが、やはり時間とともに2-6-2の割合が形成され、2割のアリたちは怠け者アリへと変身するそうです。

 

この法則を身近なもので例えてみるなら、プロスポーツにおいて、クラブチームが金にモノを言わせてスーパーチームを結成。にもかかわらずちっとも優勝できないとか、スター選手を引き抜かれたチームから隠れた才能を発揮し新たなスター選手が生まれる現象などがこれに当てはまるでしょう。人間もアリと同じでこの「2-6-2の法則」が働いていると説いているわけです。

これをクラスにおける先生と生徒の関係に当てはめるならば、先生の話をすごく肯定的に真剣に聴いてくださる生徒さん2割、普通に聴いてくださる生徒さん6割、話を聴かないで寝ているか否定的、あるいは怒っちゃう生徒さん2割が存在して当たり前という具合になります。

どう頑張っても2割の否定派は生じるわけで、それだって自分が謙虚に反省し課題を発見して改善していくために必要なネガティブであるというふうに理解すると、先生にとっても新たな地平が見えてくるのです。そもそもが全ての人に愛されようなんて虫が良すぎます。

人間というものは、全てがうまくいってしまうと必ず助長し、盲点や死角を作ってしまい、成長の芽を自ら摘み取ってしまう生き物です。それゆえ、ネガティブな反応をしてくださる方は大切にしなければなりません。もしかしたら、自分の進化の鍵を握る大恩人かもしれないのですから。

 

■今思い出される恩師・久司道夫先生の言葉

ネガティブな反応をくださる方が、自信過剰や増長満を防ぐブレーキとして働いてくださるとしたならば、ファンになってくださる2割の方たちは、自分のモチベーションに火をつけ、より良いクラスを創造するエネルギーを与えてくれます。

講師の仕事をするようになってしばらく経ってから、講義の後に「先生の話は面白かった」とか「もっと聴きたかった」というお声をいただくようになりました。それはまるで天からいただいたギフトです。「もっと良い授業ができるように頑張ろう」ってやる気を後押ししてくれます。

中にはありがたいことに、お手紙で講義の感想を伝えてくださったり、はるばる遠くから私たちのカフェを訪ねてきてくださる生徒さんもいらっしゃいます。今回、東京でも久しぶりにお会いする生徒さんから「何ヶ月も前から先生にお会いするのを楽しみにしてました」とお声かけいただいた時は講師をさせていただいて良かったとしみじみ思いました。

その時、今はなき久司道夫先生が生前、私に話してくださったこんな話を思い出しました。

 

●久司道夫先生(1926-2014)

 

「先生というのはね、いつだって生徒のことを案じているものなんだよ。生徒からもらった手紙をいつまでも捨てられずにとっておいているようなところがある。時々それを読み返しては、ああ、あの子は今頃幸せでいるだろうか?あの子の学びはより深まっただろうかと案ずるものなんです」

「先生と生徒の関係。そこには、共通の学びを通じて互いに成長し、教え教わることを通じて築かれる世界があります。人は、機会があれば、教えることを体験してみるといい、すると、教えているはずの自分のほうが生徒さんたちからたくさんのことを教えてもらっていることに気づくでしょう。そして、人類そのものが大きな兄弟姉妹であり、人間社会そのものが大きな一つの家族であったことを思い出すでしょう。先生になり、生徒になる関係というのは、自分自身が人間性を高め合う尊い場になるということなんです」

 

若い頃にはピンとこなかった恩師の言葉。その意味が今はとてもよくわかります。私自身、「先生」という役割を与えていただいたおかげでどれだけ多くのものを生徒さんたちからいただいてきたことでしょう。

 

■お釈迦様が説いた優れた先生の5つの条件

私が青年時代、長く滞在したインドにおいても、先生と生徒の関係はあらゆる人間関係の中でも最も大切とされていました。親よりも先生のことを大切にする人の方が多いくらいです。

インド文化では、自分の先生を大切にすること、尊敬することは一般的な習慣です。学問は一生の財産であり、家庭を築けるのも、収入が得られるのもそうした学問を師から学ぶことができるためと考え、先生をかけがえのない存在として大切にしたのです。

一方、先生の側もその役割を全うするために気をつけねばならないことがあります。それは、自分の義務を正しく果たすこと。それをせずして尊敬に値する人間にはなれません。お釈迦様はそれを「優れた先生の5つの条件」として弟子たちに伝えました。それは次のようなものです。

 

①生徒を正しくしつける

先生の役割は、塾講師の仕事とは異なります。先生は、ただ学問を生徒に伝えるだけで充分と思ってはいけません。「先に生きる」と書いて先生と読みます。先に生きている分、その見識を正しく伝えて道を示し、生徒に行儀作法を教え、豊かな人格をつくりあげることに寄与しなければなりません。

 

②教えが身につくようにする

生徒というのは「わかりましたか」と訊かれれば、「わかりました」と返事をするものです。しかし、その実、何もわかっていないのです。しかし、生徒は嘘つきではありません。その場ではわかったような気がするのですが、すぐ忘れてしまうだけなのです。なので、優れた先生は生徒の「わかりました」に納得せずに、あらゆる工夫をして教えを忘れないように身につけさせなければなりません。

 

③すべての学問を完了させる

学問はどんなものでも、中途半端で終わることなく最後まで教えることが大切です。中途半端に勉強すると何の役にも立ちません。自分が学ぶ学問、技術、芸術など、何であろうとも、終わりまでやり遂げた方が役に立つのです。良い先生は、自分が教える分野を辛抱強く生徒が完了するまで指導しなければなりません。

 

④世間に生徒のことを知らせる

学問の全てを学び終えていないうちは、生徒はまだ一人前ではありません。世間の人々は生徒のことを誰も知らないのです。しかし、やがては一人前になって、社会の中で仕事をしなければなりません。生徒の良いところも、悪いところも知っているのは先生です。なので、優れた先生は期待を込めて世間に自分の生徒のことを紹介するのです。そして、これから始まる生徒の活動を後押ししてあげなければなりません。

 

⑤生徒を守り、手助けしてあげる

先生はある意味、学問の世界において生徒の親のようなものであり、身元保証人のようなものです。生徒が一人前になっても、身元保証人の役は終わりません。学問の分野では、一人前になって仕事を始めると、必ずと言っていいほどライバルが現れ、その成長を邪魔しようとします。しかし、その中で先生はいつも自分の生徒を守り、誤りを正し、より良い方向へと伸びて行けるように手助けしてあげなければなりません。

 

お釈迦様は、これら5つの条件を備えた人間こそが尊敬に値する尊い先生であると説かれました。私自身も講師としてお仕事をさせていただく時にはこれらのことを念頭において指導させていただいています。また、そのことが自分自身の成長にとっても大きな糧となってゆくことを実感しています。

 

■誰もが誰かの先生なのです

人には誰でも、その人にしかできない体験、その人にしか表現できない言葉、その人にしか創造できない人生があります。この世界は、そうした一人ひとりのユニークな世界が繋がり合わさって構成されている一枚の巨大な地図です。

ならば誰もが、自分以外の人に伝えることのできる独自の視点や思想を持っています。新しい世界の認識を伝え、広げていく行為を「教え」と呼び、教える人を「先生=教師」と呼ぶならば、誰もが先生になる資格を持っているのです。

現在、何らかの形で生徒さんに技術や知識を伝えている方はもとより、「先生」と名のつく活動をされていない方でも、機会があれば「先生」という意識を持って自分以外の人に何かを伝える「役割」をご自分の人生に加えていただきたいと思います。そこから思いもよらない世界が広がっていきますから。

 

また、「優れた先生の5つの条件」の4番目にある「世間に生徒のことを知らせる」とも関係するのですが、マクロビオティックを学ばれた生徒さんの中には、現在、学ばれたことを十分理解し、ご自分や周囲の方々の健康増進に活用されたり、ビジネスに生かされている方が多くいらっしゃいます。そんな生徒さんたちと交流させていただくことも講師としての私の楽しみでもあるのです。

そうしたの方々のブログやサイトをこの『宇宙の種 Health』でも「私のオススメブログ」として時々ご紹介させていただこうと思い立ちました。この世界にはユニークで魅力的な方がたくさんいらっしゃいますよ。

続きは次回、ではどうぞお楽しみに!

 

 

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