本日は「国際婦人デー」であります。
全世界の女性の皆さん、おめでとうございます!
そして、この地球に女性として存在してくださってありがとうございます!
私たち男性は、あなたたち女性がいるおかげで、愛を学び、仕事にがんばり、この人生を謳歌することができます!その存在と働きに心から感謝します。
●国際婦人デーの生みの親 クララ・ツェトキン
http://www.japanhouse.ru/jp/kokusai-josei-day
国際婦人デーは、もともと1904年3月8日にアメリカのニューヨークで女性労働者が婦人参政権を求めてデモを起こしたことを受けて、ドイツの社会運動家クララ・ツェトキンが国際会議で「女性の政治的自由と平等のための記念日」とするよう提唱したことが誕生のきっかけとなりました。今から100年以上も昔のことになります。その後、国連が1975年の国際婦人年の3月8日以来、この日を「国際婦人デー」と定め、世界中に広まりました。
現在はこの日本でも、男女平等、性の違いはあってもその人間的価値は等しいという認識があたり前になりましたが、それまでは女性にとって長く不遇な時代が続きました。男性優位の社会の中にあって、女性がまるで家財道具のように売り買いされ、人格さえなきもののように扱われた悲しい時代がありました。
こうした状況は、日本のみならず世界中いたるところで見られましたが、その裏には時の権力者たちによる女性の力の封印、女性の存在を脅威と感じた男性側の隠蔽工作や洗脳があったためと私自身は考えています。その辺のことを語り出すとまた長いシリーズになりそうなので(笑)、今回は触れませんけどね。
きっと、国際婦人デーが提唱された背景にも、こうした不平等な社会を改善したいという先人たちの熱い意志と長年の努力があったことと思います。
3年前、姉妹ブログ『noahnoahの21世紀カラダ島』で『悲しい梅毒』というタイトルの記事を書いたことがありました。
日本で一時期勢いの衰えた梅毒の患者が、近年、再び急増しているというニュースを耳にしたのがきっかけです。
梅毒は、昨年1年間でも国内の梅毒感染者数が4518人に上り、4千人を超えたのは1974年以来、42年ぶりのこと。しかも、特徴的なのは、20代の女性が女性感染者全体の5割超をしめていることです。妊婦さんが感染すると死産・流産のほか、胎盤を通して赤ちゃんが感染し障害や病気を持つ危険性があるので、このことはもっと多くの人に知ってもらいたいと思います。
『悲しい梅毒』は、そうした梅毒急増の事実を受け、江戸時代、多くの花魁さんや女郎さんたちが梅毒によって苦しまれた歴史を取り上げ、男女の性について論じた記事です。
これは私自身の女性という存在に対するオマージュでもあります。その後、これを読まれた現役の風俗業に従事する女性から好意的なコメントやメールをいただいたりもしました。ちなみに、現在、「花魁」「梅毒」で検索するとこの記事が上位に出てくることから、私は友人たちから「梅毒ブロガー」と呼ばれています(苦笑)。
社会的に見ても、まだまだ性愛の分野は多くの誤った思い込みや無知、商業主義に利用された観念によって支配されている部分が少なくありません。それはとても残念なことだし、人類全体の進化を妨げる一番のネックになっていると私は感じているのです。
国際婦人デーの今日だからこそ、この世の男女がお互いにその存在の意味と役割を深く理解し合える日が来ることを願い、あらためて私たち男性も、女性たちとのより良い関わり方について考えてみたいと思うのです。
姉妹ブログ『noahnoahの21カラダ島』「悲しい梅毒」より抜粋〜
江戸時代の遊郭。江戸吉原は、花魁(おいらん)の世界。
花魁は、男性にとっては、手の届かぬ憧れの恋人。女性にとっては、注目のファッションリーダーでした。
浅草近くの吉原には、約2万坪の広大な土地に城郭が築かれ、メインストリートには桜の木が植えられて、この世のものとは思えぬきらびやかな空間を演出していました。
「闇の夜は、吉原ばかり月夜かな」
当時詠まれたこの句には、日が暮れれば、どこも真っ暗になったこの時代に、吉原だけが、煌煌と光り輝き、闇を追い出すことのできる浮世離れした場所であったことを物語っています。確かに、吉原は特別な場所。お金さえあれば、客の身分、地位の差別はなく、城郭内は、刃物の取り扱いが禁じられていて、武士といえども、受付で刀を預けなければなりませんでした。
客は、花魁を紹介してもらうために、最初に「引き手茶屋」に行って受付をします。ここは夢を売り、夢を買う場所ゆえ、客は、現実を忘れるために財布を預けなければなりません。
茶屋は客を見定め、花魁を紹介します。そして、見世へ連絡して、料理、宴会などをセッティングし中間マージンを搾取、見世はそれにさらに上乗せして客から遊興料をしぼりとります。つまりは、どんな客もすぐには気に入った花魁と遊ぶことができないのです。
花魁と初めて会う日だけでも、客は太鼓持ちや芸者を呼び、宴会を催さなければなりません。しかも、客でありながら下座に座らせられ、花魁が登場しても話しかけることは許されません。なぜなら、花魁の方が「客を選ぶ権利」を持っているからです。
ここまで書けば、豪華絢爛、めくるめく華やかな吉原の花魁世界がイメージされますが、実はその陰には数え切れないほどの切なく悲しい女性の涙があったのです。それがどう梅毒と関わってくるのかはどうぞ本文をお読みください。
続きは、こちらから→「noahnoahの21世紀カラダ島」『悲しい梅毒』
⭐️ 梅毒の歴史は人類の性交渉の歴史でもある。この本は実際に読んではいないのですけれど、いつか手にして読破してみたいと思っている一冊です。この世に性病が存在するのにもきっと意味があるはずだから。
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