結婚相手を決める方法


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この世に生まれて半世紀近くにもなれば、人様から色々と相談ごとを受けることがあります。

あの偉大な孔子先生にして「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とおっしゃったけれども、自分自身はまだまだ惑いっぱなしで天命の実行にはほど遠いにもかかわらず、です。

それでも、私なりに思うところをお話しさせていただくことで、何かその相談者にとっては、問題解決への道がつくということもあるようなのです。そんなわけで、たまには人と会って話をします。この間も、ある独身の若い女性からこんな質問を受けました。

「結婚すべき相手かどうかって、noahnoahさんはどうやって決められましたか?」

私にはある答えがあります。今回は、その答えについてお話ししたいと思います。題して『結婚相手を決める方法』。今、まさに決めたくて迷ってらっしゃる方はご参考までに。





■人と人とは分かり合えるのか?■

結婚とは、他人と他人が一緒になって一つ屋根の下で暮らす行為の日常化であります。

そこでテーマとなるのが「人と人とは、はたして分かり合えるのか?」という問題。

夫婦と言えども、もともとは他人と他人なわけですから、本来的に分かり合えようはずもないのが前提と私は捉えています。

現在、この国の首都で日々繰り返されている都知事選の選挙活動ひとつとっても、人間とはなかなか真に分かり合えない生き物だということだけはわかります。あの参院選で圧勝と言われた自民党だって一枚岩じゃないのが露呈したし、野党が話し合った末に担ぎ出した候補のその言動に問題があることが周知の事実となって責任を問われだすと、各党自分には責任なしというポーズを決め込んでいる。

この世の中のほとんどのことというのは、周りの人の同意や支持がなければ実現しません。議論して相手をやり込めたって、それで計画の実現が早まるかといったら、あまりない、というかほとんどありません。そこにはやはり「人と人とは、はたして分かり合えるのか?」という問題が存在します。これは結婚生活においても必ず立ちふさがる問題です。

■他人を論破してどうする?■

この日本でも一時期、欧米で行われているような「ディベート教育」を学校教育に導入したら良いのではないかという意見がありました。グループを二つに分けて賛成、反対で討論し合うわけです。しかし、これは一見優れているように見えて案外問題が多い。

社会において大切なのは、相手をやり込めることではなくて、いかにして和解しがたい対立を調和へと持っていくか、なのではないかと思うのです。これは結婚生活においても同じこと。大切なのは相手を「論破」することではなくて「説得」することなはず。ディベートと、調和へ持っていく訓練とではその目的が全くもって異なるのです。

ディベートとは、むしろ対立点をはっきり明示させる訓練であり、あんたと私はこれだけ違う生き物なんだということを強調する訓練であると思います。そんな訓練を積んでも実生活においてはあまり役に立ちません。互いのうちに優越感と敗北感と憎悪とをより強くするだけです。

もともと、日本において「対立を調和へ持っていく」ことは技術として、また伝統として培われてきたものなはずで、私たちはむしろ欧米からディベートを学ぶよりも和の伝統を大切に受け継ぐべきだと思うのです。

■人と人とは分かり合えるのか?■

しかし、欧米的ディベートのような他者との対立をいとわない文化の根底には、実のところ「正しい主張はいつか必ず全員に受け入れられる」という絶対的な思い込みがあるように思います。これは一神教的文化圏に特有の妥協を許さぬ信念みたいなものです。

しかし、私にはなかなかそういう風に考えることはできません。少々、性悪説的ではあるのですが、悪いヤツは悪いままでしょうがない、悪いヤツを正しい道に無理にでも戻そうとするよりは、悪いヤツを残したままでどれだけ全体として調和へ持っていけるか、そう考えた方がよほど合理的です。

こうした考えの背景には「他者のことはどんなにがんばっても分かりようがない」というある種の「あきらめ」があります。これは仏教的神道的な多神教的思想から生まれます。

「諦観」という言葉がありますが、これには、「モノゴトの本質を見極める」という意味があります。

仏教ではモノゴトへの執着を捨てた後、達観し、悟りを開くというプロセスを辿ります。人生で迷いや悩みが生じたなら、人はそのことへの理解を深めようとして考え抜きます。そのプロセスを経て、悩みから解放されるためには、執着から離れること=(諦めること)が必要だという境地に達するのです。

「あきらめる」の意味も単純に「何も考えずにすぐに諦めること」ではなく、その語源は明らむ(あきらむ)から来ています。明らむは、「事情などをはっきりさせること」という意味があり、転じて「諦める」は、「仕方がないと断念する」「悪い状況を受け入れる」となり、こう解釈すると「諦める」は決して消極的な意味ではなく、実は前向きで積極的な意味であることがわかります。

■和の文化の裏に隠された他者に対する「不安」■

また、すでに述べたように、欧米風の個人主義の奥底には「人間は最終的には絶対真理に通じる」という強い確信があります。だからこそあのように徹底的に激しく他人を否定し攻撃できるのだと思います。

しかし、私たち日本人というのは、どこかでこう「人間は腹の底では何を考えているかわからない」という不安や恐怖を常に抱え、それに基づいて社会を形作ってきたのではないか。わからないから怖い。だからこそ、本音は聞かずに済ませたい。あまり確信に触れることはせずに「まあまあ穏便に済ませましょう」というムードの中でその場をまるく収める文化=和の文化が形成されたのではないかと見るのです。

むしろそうした日本的な和の文化にこそ、知性では知りえない人間存在の本質的な部分に対する「畏怖(いふ)」の思いを強く感じます。しかし、その畏怖こそが意外にも人を謙虚にさせ、自己を主張することよりも全体としての和を尊ぶ精神を培ってきたのです。

■食事の中で感じられる「畏怖」■

少し話が横道に逸れてしまいました。しかしながら、「結婚相手かどうかを判断する材料」としても「畏怖」=怖さというのは一つのキーワードになりうると私は考えるのです。

「結婚すべき相手かどうか、どうやって決めれば良いのですか?」という問いに対する私の答えは、ズバリ「一緒に食事をしてみなさい」

・・・というのも、対象となるその人と一緒にご飯を食べたいかどうかという問題も実は「怖さ」を推し量る手がかりになるがゆえなのであります。

例えば、家族というものは基本的に「ともに食卓を囲み食事をする集団」と言えます。恋人どうしがデートするというのも基本的には「ともに食事をすること」なわけです。なぜ一緒に食事をするのかと言えば、それは食事をしている時に、美味しいかどうかで、その人といることが楽しいかどうかがわかるからです。

しかし、家族で食事をともにするのは単に仲が良いからだけではありません。その反対にいつ食事がまずくなるかをチェックするために一緒にご飯を食べている、そう言っても過言ではないと私は思っているのです。

もし、家族で食事をともにしていてご飯がまずく感じたら、それは家族が今、危機的状況にあることを意味します。ドラマなんかを見ていても家族の中で何か問題が生じる時というのは往々にして食事中に誰かが「もういらない」と怒鳴って席を立ったり、乱暴に茶碗をひっくり返したりするものです。

■まずは、一緒に食事をしてみなさい!■

実は男女の相性というのも、セックスをするまでもなく、一緒にご飯を食べてみるだけで、相手が一緒にいられる人かどうかわかるものです。うまくいかない相手だと、面白いことにまずご飯が美味しく感じられません。

味がしないということは、「この人と一緒にいてもあなたの心身のボルテージは上がりませんよ」とカラダがシグナルを送って教えてくれているのです。どれだけアタマが「この人と一緒にいると得をする」とか「この人と一緒にいた方が良い」とメッセージを送っても、消化器の方がそれを嫌がっているのです。

私たち人間も多細胞生物の一種と言えますが、多細胞生物の発生の初期段階においてまず最初に作られたのが口と肛門。つまりは消化管なのです。それゆえ、消化器は生き物としての「生きる」と直結した器官なのであり、知識や理屈以前の原初的な野性的カンと関係の深い場所だと考えます。なので消化器の判断は決して馬鹿にできません。

これが「相性の良い相手」となると真逆のことが起こります。他愛のないことを話しているだけでも、やたらと食欲が増して、おかわりしたくなるくらいご飯が美味しく感じられるものです。

「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、自分と同じものが好きだということ、同じ食の快楽を共有できているということは、身体的な部分、精神的な部分においても調和できていることを意味します。

人間というものが、たとえ真に理解し合えないものであったとしても、いや、真には理解し合えないものだからこそ、そこに生じるわずかな共通点や安堵、味覚を通して得られる快楽の共有こそが人生の伴侶となる相手を嗅ぎ分ける最大の手がかりとなることは、先に述べた私の説をさらに強く証明するものといえるでしょう。

これから結婚相手を選ばなければならない状況にあるあなた!

週末はぜひ、気になるあの人と一緒に食事をしてみてください。会話が弾むか?ご飯が美味しいか?一緒にいて落ち着くか?あるいはウキウキワクワクするか?

きっと、その辺が判断材料になるはずですから。

あなたが、美味しくて楽しい素敵なパートナーと出会えることをお祈りしています。

⭐️ 「結婚前の人は、したくなる。結婚している人は、気楽になる。そのためにこの本を書きました」──内田樹。武道とフランス思想を巧みに操る言論界の騎士・内田樹先生がそのキラリと光る知性で「結婚」をテーマに語った本。思わずその深い知見に唸ります。

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