前回に引き続き、もう少し「情」についてお話ししたいと思います。
「記事タイトルが『名人・坂口直樹と出会って感じたこと』なのに、坂口先生があまり登場せぬまま、noahnoah 、ブログがお前の自論の展開の場になっとるぞ!」
このMac Book Airの向こうにいる、あなたのそんなお声は重々承知しています。
しかし、こんな思考の旅のきっかけを作ってくれたのは他でもない坂口先生なんです。いっそ、ブログタイトルそのものを『宇宙の種 Health』から『坂口直樹の種 Macro』に変えてしまおうかと思っているくらいです。
でも、あの岡潔先生もおっしゃっています。「文章を書くにも『情』が作用している」。
●岡潔先生(1901-1978)
文章を書き始めて調子がのってくると、何か得体の知れぬものによって書かされているような気がしてくる。そして、書き終わって改めて読んでみれば、果たしてこれは本当に自分が書いたものであろうか?と思われるような内容がそこには書かれてある。
これは自分が書いたものなのであろうか?それとも何かによって書かされたものなのであろうか?
それは「情」によって書かされたものなのである。
私の今回のテーマも確実に「情」によって書かされています。このまま「情」に任せるがまま綴ってまいりたい所存です。そんなわけで例によって長文ですが、引き続き「憑依ブロガーnoahnoah」のマクロビオティック論にどうぞおつきあいください。
生前、岡潔先生が残された文章やエピソードには強く印象に残るものが多いです。「情」というものの本質をさまざまな例をあげて示してくれています。
先生曰く、日本人は誰でも、情が自分だといえば「なるほどそうだ」とわかる感性を心のどこかで持っている。
心は情、知、意の順に働きますが、もともとは情が最初に作用します。しかし、中国では知が最初だと言い、仏教も知が最初だと言っている。西洋人に至っては、情の中で大脳前頭葉で分る部分、これが感情ですね。これは極く浅い情です。この感情が情だと思っているらしい。もっと深い情を西洋ではどういっているかというと、Soul(魂)と言っている。これが本当の情の世界です。
西洋人は悪魔に魂を取られはしないかと思って、びくびくしている。そうすると情というものは大切なものではあるが、自分ではないと思っているんですね。これは非常に浅い情の世界、感情です。西洋人に至っては情を自分だと思っていないらしい。もっと深い情とは一口にいって、どんな風なものか。これは一例をあげれば良い。日本人は情というものを無意識的によく知っている。それで一例をあげれば足りるんです。
岡先生はいつも情について説明された後、その本質を伝えるために、あるお坊さんから聴いた実在する禅僧の話を例に出されました。私はその話がとても好きです。ご紹介しましょう。それはこんな話です。
明治になってからの話ですが、お母さんと子供が住んでいた。子供が13歳になった。そして禅の修行をしたいといい出した。それで修行の為に家を出ることになって、いよいよ別れるという時になって、お母さんはこういった。
お前の修行がうまくいって、人がちやほやしている間は、お前は私のことを忘れていても良い。しかし、お前の修行がうまくいかなくなって、人に後指を指されるようになったら、私を思い出して、私の所へ帰って来ておくれ。そういった。
それから30年程たった。子供は修行がうまくいって、偉い禅師になった。松島の碧厳寺という大きなお寺の住職をしていた。その時、郷里から使いが来て、お母さんは年をとって、この頃では寝たきりである。お母さんは何ともいわないが、私達がお母さんの心を推し量ってお知らせに来た。そういった。
それで禅師はとるものもとりあえず家に帰って、寝ているお母さんの枕辺に座った。そうするとお母さんは子供の顔を見てこういった。
この30年、私はお前に一度も便りをしなかったが、しかし、お前のことを思わなかった日は一日もなかったのだよ。
私はこの話を最初、杉田お上人から聞いた。その時、涙が流れて止まらなかった。これが情の本体です。
この話を聴いた時、私が思い出したある言葉があります。それは久司道夫先生が生前おっしゃったこんな言葉です。
「先生というものはね、いつまでも教え子のことを忘れずにいるものなんだよ。教え子が書いてくれた手紙をいつまでも大切にしまっていて、何年経ってもそれを思い出し、ああ、あの子は今も元気でいるだろうか?幸せでいるだろうか?と気にせずにはおられない。先生というものは皆そんな感情を持っている」
ここに私は母の子に対する愛情に似たものを感じるのです。岡先生は「愛」という言葉を使わずにこころの問題を解き明かそうと尽力された方でしたが、母子の愛も師弟の愛もその根底に流れているのは「情」なのだと思います。これは、知識や理論といったもので説明できるものではありません。もともと、生命に本質的に備わったものなのです。
自分にとって、この40代という年代は本当に予期せぬ10年間でした。若い頃、ボストンの久司先生のお宅に居候していたことをきっかけに、昨年まで約6年間にわたり、小淵沢にあったマクロビオティックの学校でボディワークのクラスを担当させて頂きました。
地方都市に暮らす一介の治療師に過ぎない自分が、大勢の生徒さんたちを目の前にして話をさせて頂いたり、整体法を考案し実技指導をさせて頂くことになろうとは、思いもよらぬことだったのです。
自分には若い頃のトラウマがあり、人前で話すことは大の苦手だったはずが、毎回、熱心に聴いて下さる生徒さんに少しでも自分の思いを伝えたいと講義をさせて頂くうちに、私自身がマクロについて、また生命について深く見つめ直すきっかけを頂いたのです。
そして、有難いことに全国にいらっしゃる生徒さんたちの中で、はるばる私たちのカフェを訪ねて来てくださったり、お手紙をくださったりする方があります。この春、東京で催した私の性愛講座にも大勢の生徒さんが時間をとって駆けつけてくださいました。
先生と教え子という関係を形作るものも、やはり底を流れるものは「情」なのではないかと感じています。
小淵沢や東京で生徒さんたちと交わした会話の一つ一つを私も時々思い出すことがあります。そして、元気であってほしいな、幸せであってほしいなとしみじみ思うのです。昔、久司先生が私に話して聴かせてくださった言葉の意味が今はとてもよくわかります。
食べ物に対する知識や病気治しももちろん大切なことだけれど、久司先生が本当に私たちに伝えたかったことはこの「情」の世界のことだったのではないかと私は今でも思います。
昨年のことでした。カリフォルニアで写真家として暮らす日本人の教え子の一人から連絡がありました。「今度、帰国することになったので、ぜひ北海道にも足を伸ばし、先生に会いに行きたいんです」とのこと。
理論もお料理も経験も確かな彼女。それでは、ぜひ講座を持ってほしいということになり、クッキングクラスと望診法、写真術の講座を企画し、連日講師を務めてもらいました。
その時、こんな不思議なことがありました。彼女がわが家に滞在した夜、深夜に私は無性にワインが飲みたくなりました。滞っていたブログの更新をせねばと思い、赤ワインを飲みながら記事を書けばはかどるのではないかと考えたのです。
ふだん、そんな夜更けにお酒を買いに行くことはありません。でもその時はどうしても買いに行きたくなって近くのコンビニまで車を飛ばしました。帰宅して、コンビニの袋をガサゴソいわせながら家人が皆寝静まった家のリビングの階段を上っていたその時です。
「先生!!コンビニで買い物ですか!?」
突然、後ろから声がしてドキッとして振り返るとそこに彼女がいました。私はまずいところを見られてしまったと思いながらもこう言いました。
「起きてたの?ワイン飲みながらブログ更新しようと思ってね。これから一緒に飲む?」
「はい。ところで先生、覚えてました?今日はとても大切な日なんですよ」
「大切な日?」
「そうです。久司道夫先生の誕生日なんです」
「そうか。久司先生の誕生日だったか・・・」
彼女がわが家を訪れた夜、それはちょうど前年亡くなられた久司道夫先生の誕生日だったのです。そこで5年ぶりに再会した彼女と交わした会話を私は今でも忘れられません。
「・・・それはちょうど良い!ワインで一緒に乾杯するか」
「そうしましょう!」
家族が寝静まった深夜。彼女と私はセージの葉を焚いて亡くなられた久司先生に黙祷を捧げ、先生の分のグラスも用意して、買ってきた赤ワインをお供えした後、乾杯しました。
思えば、久司先生と出会うことがなかったら、彼女ともこうして巡り会うことはなかった。奇しくも私たち共通の師である先生の誕生日にわが家のリビングで教え子と盃をかわす縁の不思議さに思い至りました。
この夜、グラスを傾けながら、彼女が話してくれたとても印象深い話があります。私は、その話を聴いて不覚にも泣き出しそうになってしまいました。深夜に四十男を泣かせる彼女の語り。それは「愛」にまつわるこんな話です。
深夜にグラスを傾ける教え子と私。やがて彼女がこう切り出しました。
「・・・あのね、先生。私、久司先生の授業で忘れられない授業があるんです」
「忘れられない授業?」
「・・・そう、忘れられない授業。今でも時々、思い出すことがあります。」
「それはどんな授業だったの?」
「・・・それは、レベル3(マクロの学校の上級コース)の最終講義でのことでした。その時、久司先生は愛についてお話されました。『皆さんは、愛の定義って何だと思う?』私たちにそう訊かれた後、こんな話をして下さったんです」
●久司道夫先生(1926-2014)
(久司先生談)「私は、愛とは何ら見返りを求めることなく喜びとともに与え続けるものだと考えます。例えば、お母さんの愛。お母さんは、いつだって子どもの幸せを願い続けています。
反発されたって、裏切られたって、お母さんは子供のことが愛しくて仕方がありません。子供が傷つけば、自分も傷つく。子供が悲しめば、自分も悲しい。お母さんにとって子供は宝物であり、自分と子供は分けることのできないひとつのものだからです。
子供が幸せであること、それがお母さんの願いであり、子供が喜ぶこと、それがお母さんの希望であり、喜びなのです。実は、穀物や野菜もそうした『想い』を持っています 」
久司先生は、そうおっしゃると、キャベツはどんな想いで土の中に育つのか。かぼちゃはどんな想いでいるのか。にんじんはどんな想いなのか、一通り説明された後、そうした個々の野菜の想いが波動となることをお話されました。そして、私たちは食べる行為によって、日々その波動を取り込んでいるのだと伝えられました。
「これで私の講義は終わりです。何か質問はありますか?
・・・・もしなければ、私がお伝えすることは、もうこれが最後です」
彼女は、久司先生の「最後」という言葉を聞いた時、先生とこれから先、永遠に会えなくなるような気がして悲しくなり、「今、なんとか質問をして、先生をこの場につなぎとめなければ」そう思ったといいます。
「質問はありませんか?なければ、これで終わりです」
しーんと静まり返った教室に、誰も手を挙げる生徒はいません。彼女はある質問を思いつき、手を挙げました。
「待って下さい!先生、質問があります」
「はい。どうぞ」
「先生、では、お米はどんな想いを持っているのですか?」
久司先生は、何も言わずに彼女を見つめました。しんとした音の無い教室。そこにしばし沈黙の時間が流れました。
・・・その時です。
突然、彼女の脳裏に広々とした大地の中で稲穂たちが風にそよぐ風景が映りました。
日の光を受けながら、キラキラと黄金色に輝く稲穂たち。それらの一本一本が何か共通する意志を持っているように感じられました。その時、彼女には、稲穂たちの「想い」が何であるのかわかったと言います。
「稲穂たちは、待っていたんです。けなげにも自らの身を捧げ、ずっとずっと私たち人間に食べられるのを待っていたんです。その時、お米の想いが何なのかはっきりわかりました。お米が私たちに望んでいるのは『平和』だったんだって」
もの言わず収穫を待ち、ただただ平和を願う稲穂たちの気持ちが、久司先生の話して下さった「愛の定義」と重なって、彼女は突然、その場で号泣してしまいました。静まり返った教室に彼女の嗚咽する声が響きます。
久司先生は何も言わず、ただ静かに彼女を見つめていました。そして、しばらくすると、傍らにいらした奥様にホワイトボードにある文字を書くように告げられました。
ホワイトボードに大きく書かれたその文字は「和」という文字でした。
そして、久司先生はこう言われました。
「左側の『のぎ偏』は穀物=稲がたわわに実った姿を表します。そして、右側は私たちの『口』。穀物=稲を口にすることにより、私たち人間が仲良く、争いがなく、そして『平和』に暮らしていくことを稲穂たちは願っています。お米の想い、それは『平和』です」
「・・・私はその日、一日中泣いていました。クラスメイトたちは、なぜ私が泣き出したのか意味がわからず、困惑していました。私自身、なぜあんなに泣けてしょうがなかったのかわかりません。ただ、あの時、心の底から稲穂たちの気持ちがわかった気がして、本当にありがたく暖かく切なくなるほど感謝の気持ちが湧き起こってきたんです」
彼女の語りを聴きながら、その光景が頭に浮かび、私も胸が熱くなりました。この時、私の胸を熱くしたものは知識や理屈ではありません。これこそが岡先生の言う「情」の本質なのだと思うのです。
欧米人がマクロビオティックの中に、今まで西洋社会の中から生まれた思想や宗教、哲学にはない「何か不思議なもの」を感じ、求め、学んできた理由は、そこにこの「情」が存在するゆえ、私はそう感じています。また、そうした欧米人の姿に触れ、若き日の私はマクロの本当の価値やその意味に気づかせてもらったのでした。
「マクロは単なる食事法ではない」そう私が言う理由を理解して頂けるでしょうか。久司先生が本当に私たちに伝えたかったことはこの「情」の世界であり、「情」がわかるということは「私たちの存在が、もともと繋がっているひとつの大きないのちである」ことに気がつくことともいえます。
しかし、いきなりそれを掲げても、わかる人はどれだけいるでしょう。それゆえ、久司先生は「食べ物」という具体的でなおかつ物質的側面も併せ持つものを活用しながら、健康と調和の道を探求され、啓蒙してこられたのです。
マクロとて、そうした「情」の側面を捉えずに、物質的側面のみでモノゴトを判断しようとしたり、問題を解決しようとしたならば、アンチマクロ派が指摘するような間違いだって起こるでしょう。
万物の存在の本質が「情」だとするならば、それは固定された物質ではありません。絶えず変化し続ける流動的な側面を持ちます。岡先生はその情の本質を次のように表現されました。
情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。
それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、内容は絶えず変わっているのである。人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他も皆そうである。人類がそうであるように、生物も皆そうである。大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。
・・・いかがでしょうか?
私たちの本体が「情」だとするならば、それは絶えず変化し入れ替わるわけです。それは物質だと思われているこの肉体においても同じこと。細胞は絶えず入れ替わっています。
例えば、今、目の前に川があります。それは昨日と同じ場所にあるように見えます。しかし、そこに流れる水は新陳代謝を繰り返し瞬々刻々変化しています。昨日と同じ水はそこに流れていません。私たち自身も私たちの生活行為も常なき状態。生ある者は一刻といえども止まることを知らず、常に動いているのです。
その観点をなくして固定化した見方で陰陽を捉えたり、カラダを捉えてしまっては間違いが起こります。その人の年齢や性別、体調、ライフスタイルに応じて、その時々で必要な食べ物というものもダイナミックに変化することを忘れてはいけません。
世に存在するものは、すべからく必要あって存在するのです。私はそのことをマクロビオティックから学びました。西洋医学を否定してはなりませんし、東洋医学を否定してもなりません。陰を否定してはなりませんし、陽を否定してもなりません。それらは片方のものが存在するがゆえ存在できるものなのです。生と死の問題もまた然り。
何度も申し上げているように、マクロビオティックとはその変化のただなかにあってバランスをとることなのです。
ここまで書き続けてきて、今、頭の中には最終章のイメージがふつふつと湧いてまいりました。それは、ある方面の方にとっては衝撃の結論かもしれません。しかし、もうすでに憑依ブロガーと化した私を誰も止められません。私は誤解を恐れず自論を展開しきってこのテーマを終えたいと思っています。ここまでなんとか維持してきた自身の針を振り切って終えたいと望んでいます。そこには、もちろん坂口先生も登場されます。はたしてテーマ通りの結末を迎えられますか否か、あなたにもしかと見届けて頂きたい。
いよいよ次回は最終章。
熱を帯びた長文はつづく・・・
(*ネット上に「数学者岡潔思想研究会」というサイトがありまして、ここで岡先生の思想に触れることができます。私もこのサイトから岡先生の言葉を引用させて頂いています。興味のある方は是非訪れてみてください)
⭐️ 「岡先生の思想に触れたいのですが、手始めに何から読めば良いでしょう?」そう訊かれた場合、私はいつも本作をお勧めしています。手頃な価格と文章量、しかしその中身は深く厚い。「すごい日本人がいたものだ!」あなたにもきっとそう言って頂けるはず。
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