あなたは、初めて会ったにもかかわらず、以前どこかで見知っていたような、そんな気持ちにさせられる人物や風景に出会ったことはありますか?
その時、心に湧き起こるのは「懐かしさ」です。安堵の中に懐かしさを感じ、魂が「喜び」を感じるのです。
私が坂口直樹先生に初めてお会いした時に感じたのも、この「懐かしさ」でした。
そして、今は亡き久司先生ご夫妻や海外で出会って親しくなったマクロビアンの友人たちからも同種の懐かしさを感じたものでした。
「この懐かしさは何だろう?そして、この気持ちは一体どこからやってくるのだろう?」
・・・そんな私の問いかけに、答えを与えてくれた一人の数学者がいます。
[ad#co-1]
その人の名は「岡 潔(おか きよし)」。
あなたは彼をご存知ですか?
●岡 潔 先生(1901-1978)
岡先生は、1901年に大阪府に生まれた天才数学者です。
フランス留学中に「多変数解析函数論」という研究テーマと出会って以来、数学の世界で当時最も難しくて未解決だったその問題を人類史上初めて解き明かし、世界をあっと言わせた日本を代表する数学者なのです。
その偉大な業績から、ヨーロッパの数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは信じられずに、「岡潔」というのは個人名ではなくて、天才数学者集団によるペンネームに違いないと思われていたほどの人なのです。
しかし、数学者でありながら、自然科学にも造詣が深く独特の思想や観点を持っていた岡先生は、常に革新的で、それでいて真理に通じる広い視野から世の中を眺めていました。数学以外のほとんどすべての分野にも精通し、特に、仏教思想や西洋思想にも詳しかった先生が晩年取り組まれたのが「人間のこころ」の問題でした。
人間のこころ=脳の問題を、解剖学的アプローチに頼るのではなく、自身の思索と論理の展開によって解き明かそうと試みた知の巨人、それが岡先生なのです。
そんな先生が最晩年に出された結論は、「宇宙は情でできている」ということでした。
宇宙とは、すべての時間と空間のことを意味します。いわば、この世の森羅万象すべてのことです。それを創り出している大元のものが「情」であるという、天才数学者が考えに考えた末、出された答えに私は驚嘆し深く感じ入りました。
岡先生曰く、人間の判断基準には、「情」、「知」、「意」の3つが存在する。
「知」とは「理」であり、「意」とは「意思」である。何を大切にして生きるかという点において、それが「情」なのか「知」なのか「意」なのかで中身が大きく違ってくるというのです。それが、人によって、民族によって、あるいは文化によっても最重要とされるものが異なるというのです。
岡先生は、この3つの中でも最も大切であり、この宇宙を形作っている根本が「情」であると主張されます。
先生は、人間の意識のあり方にも自ずと「層」があって、高い次元にある意識ほど、「真・善・美」を大切にすべきであり、真には知、善には意、美には情が対応し、日本民族はその役割において類い稀なる「情」の民族であるため、日本人の根本には「情」があるべきと語りました。
西洋社会では最も重要視されるのは「知」であると言います。「知」はマニュアル化することが可能で、誰もが学ぶことが出来るものです。けれども「情」とはそういう性質のものではありません。
では、東洋社会ならばすべての地域が「情」を重要視しているのかといえば、否。インドにおいてはバラモン教、仏教が発達し、中国においては儒教が発達しましたが、それでもそれらの思想の根底にあるのは、まだまだ「知」が主体。
戦後、日本が堕落したといわれるのは西洋の真似ばかりして「知」を重視した結果であり、本来の日本民族の特質である「情」を忘れてしまったためである、それじゃいかん!と岡先生は喝破します。
では、岡先生の言う「情」とは一体何を指すのでしょうか?
それは私たちの「感情」を言うのでしょうか?それとも「人情」のことなのでしょうか?
岡先生は、海外文明にはこの「情」を発露とした判断基準がないと言います。それは決して感情がないとか、情が薄いとかいう意味での「情」ではなくて、最も重視すべき価値観の順序としての「情」であると言うのです。日本人はこの「情」による判断基準を持っていて、それが実は森羅万象の存在にとって最も大切な根源的なものであると言います。
私は、それを「情緒」であり、「こころ」であると捉えています。
以下、岡先生の言葉を引用すると・・・
モノゴトの本質を自覚するといえば情の目で見極めることが大切ですな。知や意では本当には自覚できませんな。大体、みんな「知、知」と言って知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。今の教育なんかもそうだけど、知ということについて少し深く考えてみた人はあるだろうか?私はないだろうと思う。
知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか?全然、理解じゃないでしょう。
理解というのは、その「理=ことわり」がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その「趣=おもむき」がわかるんでしょう。
松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。
それから先にあるのが知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。その状態は言葉ではいえない。いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。
言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということの本質なのです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。
・・・いかがでしょう?
もしかしたら、よけいにわからなくなったという方もあるかもしれません(笑)。
岡先生は、人間が良いものは良い、悪いものは悪いとはっきりわかるのは、知識によるのではなく、情がわからせてくれるのだと言います。人間が「知」を得る以前に、「意」を得る以前に、初めから備わっているものが「情」であり、この宇宙に存在するすべてのものの根本に「情」は存在しているというのです。
『春宵十話』というエッセイの中で、先生はご自身が小学生の頃に読んだ『魔法の森』という物語を例に出して、「情」について語っています。
『魔法の森』から〜
森のこなたに小さな村があって、姉と弟が住んでいた。父はすでになく、たった一人の母も今、息を引きとった。おとむらいがすむと、だれもかまってくれない。姉弟は仕方なく、森を超えると別のよい村があるかもしれないと思ってどんどん入っていった。これこそ人も恐れる魔法の森であることも知らないで。
ところが、行けども行けどもはてしがない。そのうち木がまばらになって、ヤマイチゴの一面に実をつけている所へ出た。もうだいぶおなかがすいていた姉弟は喜んでそれをつんだ。ところが天然のイチゴの畑に一本の細い木があって、その枝にきれいな鳥がとまっていた。
姉弟がイチゴを食べようとするのを見て「一つイチゴは一年わーすれる、一つイチゴは一年わーすれる」とよく澄んだ声で鳴いた。姉はそれを聞いてイチゴを捨て、食べようとしている弟を急いで引きとめた。しかし弟はどうしても聞かないで、大きな実を十三も食べてしまった。それで元気になった弟は、森ももうすぐ終わりになるだろう、僕が一走り行って見てくるから姉さんはここで待っていて欲しいというや否や走りだして、そのまま姿が見えなくなってしまった。
いくら待っても帰って来ない。そのうちに日はだんだん暮れてくる。この森の中で一晩明かすと魔法にかけられて木にされてしまうので、小鳥は心配して、さっきからしきりに「こっちいこい、こっちいこい、こっち、こっち」と泣き続けているのだが、姉は「いいえ、ここにいないと、弟が帰って来たとき、私がわからないから」といって、どうしてもその親切な澄んだ声の忠告に従わない。
一方、弟の方は、間もなく森を抜ける。出たところは豊かな村で、そこの名主にちょうど子がなく、さっそく引きとられて大切に育てられた。ところがそれから八年過ぎ、九年過ぎだんだん十三という年の数に近づくにつれて、なんだか心が落ち着かなくなっていった。何か大切なものを忘れているような気がして、どうしてもじっとしていられず、とうとう十一年目に意を決して養父母にわけを話し、しばらく暇を乞うて旅に出た。
それからどこをどう旅しただろう。ある日ふと森を見つけ、何だか来たことのあるような所だと思ってしばらく行くと、イチゴ畑に出た。この時がちょうど十三年目に当たっていたため、いっぺんにすべてを思い出し、姉が待っていたはずだと気がついて急いで探す。すると、あの時姉の立っていたところに一本の弱々しい木が生えている。弟は、これが姉の変わり果てた姿だと悟って、その木にすがって思わずはらはらと涙を落した。
ところがそうするとふしぎに魔法がとけた。姉は元の姿に戻り、姉弟は手を取り合ってうれし泣きに泣く。小鳥がまた飛んで来て「こっち、こっち」と澄んだ声で嬉しそうに鳴く。こんどは二人ともいそいそとその後についていって森を出る。養父母も夢かと喜び、その家で姉弟幸福に暮らす。
そして、岡先生は読者にこのように問いかけるのです。
この物語全体が一種の雰囲気に包まれていると感じられないだろうか。私には、十三年に近づくに従って大切なものを忘れている気がして・・・という心の状態、その情操というものがひどく印象深く、いつまでもきれいに覚えている。これは慈悲心に目覚めるというだけでなく、心の故郷が懐かしいといった気持ではないだろうか。こうしてこの気持ちがなければ、人の人たるゆえんのもの、つまり理想を描くこともできないのだ。
岡先生は、「情」の奥にある故郷は「懐かしさ」と「喜び」であると言います。
以前、こんな出来事がありました。
四十数年前、私がまだ4、5歳だった頃、私たちの家にアメリカ人家族がマクロビオティックを学びにやってきました。若い夫婦には一人娘がいました。私と同い年くらいだったその女の子を、どういうわけか私は「はなちゃん」と呼ぶようになりました。目の色も髪の毛の色も異なる外国人の女の子に「はなちゃん」なんて、まるで日本人名の「花子さん」みたいでおかしいですよね。けれど、私たちはとても仲良しになり、いつも一緒に遊びました。
はなちゃんのパパとママは毎日のように私の祖父母から玄米ご飯の炊き方や料理の仕方を習ったり、田植えや畑作業を手伝ってくれました。2ヶ月以上もうちに居候して一緒に暮らしたその家族。やがて本当の家族みたいになりました。
ところがある日、突然お別れの時がやってきて、はなちゃん家族は荷物をまとめ、父の運転する車に乗り込むと、窓を開けて私に手を振りました。はなちゃんも悲しげな表情のまま、その小さな手を一生懸命振ってくれました。次第に小さくなって遠ざかっていくはなちゃん家族を見送りながら、私はとても悲しくなって大泣きしてしまいました。そんなあの日のことを今でもおぼろげながら覚えています。
亡くなった祖母は、生前よくその家族のことを思い出しては、私にこんな笑い話を話して聴かせてくれました。
「はなちゃんのママは、本当にひどいったらありゃしなかったよ!」
家には仏壇があったのですが、ある時、扉の鍵が壊れ、閉まらなくなったのを見かねて祖母が長い竹の棒を見つけて、それを扉の穴に通して鍵の代わりにしました。
ところがその後、はなちゃんのおしめを洗ったママが登場。「濡れたおしめを干すのに何か良い物干し竿はないかしら?」と探していたところ、目に入ったのが仏壇の竹の棒だったのです。これは良いものを見つけたとばかり、扉から突き出した棒にはなちゃんのおしめを干したそうです。
さて、翌朝、ご先祖様にお参りしようと仏壇の前に座った祖母は、それを見て大激怒。いくらはなちゃんのママに「ご先祖さまのバチが当たる」と日本語で訴えても意味が全く伝わりません。仕方がないので紙におしめの絵を描いて、その上に大きな「×」印を描いて仏壇の扉に貼っておいたそうです。
「まったく、あのアメリカ人にはまいったわ」
祖母はいつだってそういうと、一人可笑しそうに笑いました。
・・・それから二十数年後のことです。
私は伴侶を見つけて結婚し、まだ小さかった長男を連れて、マクロビオティック修行のために家族でアメリカに渡りました。ボストンの久司道夫先生のお家に居候していたその年の夏、郊外の大学を借り切って国際的なマクロのカンファレンスがあり、600人以上の参加者が世界中から集いました。
何日目かに講堂で記念の式典があり、あふれんばかりの人々が席を取ろうとごった返すその会場で、私たち家族も自分たちの席を見つけるため立ったまま辺りを見回していたところ、隣りで同じように席を探していた西洋人の中年女性とその娘らしき親子が私に声をかけてきました。
「ハロー、あなたはどちらからいらしたの?」
「ハロー、日本の北海道からきました」
「あら!ホッカイドウ?懐かしい!」
「え?北海道、ご存知なんですか?」
「ご存知も何も、私たち、昔、ホッカイドウでマクロビオティックを学んだことがあるの」
「え!本当ですか?」
「本当ですとも。私たち、農家と治療院やってる家にホームステイしてたのよ」
「え!!その家族の名前なんて言います?」
「んー、もう忘れてしまったわ」
「他に、何か覚えていることありませんか?」
「んー、そうね。そこには、うちの娘と同い年の男の子がいてね。
それから、ある日、娘のおしめを干そうと思ったら、物干し竿がなくてね。
ちょうど、大きな箱の扉に棒が刺さってたんで、そこに干してたら、
その家のおばあさんにひどく叱られちゃってね・・・」
立ち話をしている中年女性の隣には、綺麗な目をした、年の頃は私と同い歳くらいの美しい女性が私たちの話を神妙に聴き入っていました。もう、間違いありません。私はその時、確信しました、彼女は二十数年ぶりに再会したはなちゃんだということを。
「すいません。その家族の名前は、もしかしてミヤモトファミリーと言いませんでしたか?」
「そうそう!ミヤモトファミリー!」
「・・その男の子って、実は僕なんです!」
「!」
その後、ご婦人は大きな声をあげて驚き、今にも泣き出さんばかりの喜びの表情で私をハグしたのは言うまでもありません。そして、すっかり成人したはなちゃんとも再会を喜び合ってハグし、私は彼女たちに家族を紹介しました。そこで明らかになったのは、「はなちゃん」とばかり思っていた彼女の名前が本当は「ハンナ」だったこと。ハンナはユダヤ人の女性に多くある名前です。
ご婦人の名は、「マダム・シーセル」といいました。西海岸のサンフランシスコで親子でマクロの先生をしているということでした。
「二十数年前、北海道でマクロを勉強した数ヶ月の経験は自分にとって本当に素晴らしいものだった。あの経験があったことで私は人生に大きなテーマを持つことができた。本当にありがとう。それにしても、あの坊やが、こんなに立派になって・・・」
マダム・シーセルは、そういうと再び嬉しそうに涙ぐみながら、私をきつく抱きしめました。
この時、私が感じたものは、なんとも言えない「懐かしさ」と「喜び」でした。そして、あれほど混雑していた会場で二人に隣り合ったことの不思議。
岡先生がおっしゃるように、日本人と西洋人では、感性の違いというのか、メンタリティーの違いのようなものがあるのを私自身も感じます。それは、海外で出会った現地の人々との交流でしばしば感じてきたことでした。
少し仲良くなった西洋人と環境問題や政治、文化、芸術について話をする機会がいろいろな場所であったのですが、彼らの主張することが何か自分の中でしっくりこないことがありました。それは、何人かのベジタリアンにおいてもそうでした。あまり肉を食べないという点においてはマクロビアンである私とそう変わりはないのですが、根本の部分において何か物足りなさを感じるというのか、深いところでの「共感」のようなものを感じられない場合があるのです。
数年前、アメリカでヒットしたドキュメンタリー映画に『フォークス・オバー・ナイヴズ』があります。前回の記事に登場した栄養学者コリン・キャンベル博士も出演している作品で、要は動物タンパク質=肉・乳製品の過剰摂取が、がんや成人病など現代疾病の原因であり、それを穀物や野菜を中心とした植物性食品の摂取に切り替えることで人は健康に生きることができるということを数々のインタヴューやデータを織り交ぜて説明するといった内容です。
説得力のある構成と演出で、確かに知っておくと良い知識は随所に散りばめられている作品ではあります。しかし、私はこの作品を観終わった後、何か釈然としないもの、ある種の寂しさのようなものを感じずにはいられませんでした。それが一体何なのだろうとしばらく考えていたのですが、ふとそれが岡先生のおっしゃっていた「情」であることにやがて気がついたのです。
作品には多くの医療家や栄養学者、官僚、財界人が出演してコメントが述べられているのですが、誰一人として食物の「いのち」についての側面からモノを語る人がいないのです。食物をあくまでも「物質」と捉えて、分析した結果やデータは頻繁に登場し、これを食べ過ぎると数値が悪化する、これを食べるとこんなに体重が減って血圧が正常になるというエピソードは語られるのですが、日常私たちが口にする穀物や野菜、豚や牛などの食物が私たちと同様に「いのち」を持った存在であることに触れる人物がたったの一人も存在しないのです。
私たち日本人の文化の背景には、神道的なもの、仏教的なものが色濃く存在します。さらにさかのぼれば、縄文文化を中心としたアニミズムの世界がそこには広がっています。それらに共通するのは、森羅万象すべてに「いのち」が宿っている、もしくは森羅万象すべてが等しく「カミ」であるという思想です。
それゆえ、私たちは食物を頂く時に手を合わせ「いただきます」と言います。それは、その対象となるものの「お命をいただきます」の意味なのです。こうしたモノゴトの捉え方の違い、感じ方の違いというものが歴然としてそこには存在するのです。
これらは別に私たち日本人が特別優れていて、西洋人や他の民族が劣っているという意味ではありません。あくまでも役割なのです。岡先生の主張も決して民族主義や選民思想的なところから論じられているわけでないことは、彼の随筆を読み込めばわかります。
日本人の特質は、常にそこにある根源的なもの=「情」が気になるという性質にあるのだと思います。それに対して西洋社会は「知」でモノを分け、理解してきた長い歴史を持ちます。自分と他者を切り離し、それを比較することによって法則性を見つけ、自身の利益としていくやり方です。
その方法によって、西洋は近代以降、科学という名の魔法の杖を手にし、大きな発展を遂げ、人類全体がその恩恵を被ってもきました。そのおかげで私も今、こうやってMac Book Airを使ってブログを発信できてもいるわけです。
しかし、「知」は根底に「自分と他者を切り離す」という性質を有するため、それのみでは本当の幸福には辿りつけないようにも思うのです。「知」が誤ったかたちでエスカレートすれば、それは、批判、独善、排他、分離、破壊を生みます。原子力爆弾がその良い例です。そこには「情」がないのです。私がネットで目にしたマクロ批判の記事から感じたある種の「寂しさ」もここに理由があるのです。
岡先生は、現代日本は自他を切り離して見ることを西洋から学び、理性主義・合理主義・物質主義などにより「汚染されている」と警鐘を鳴らして、これらを「無明」と位置づけ、今こそ東洋的な情緒・情操を大切にし、こころの彩りを取り戻して生命の喜びを感じることが必要と説かれます。
「情」の世界は、自分と他者を分けられない世界。自分と他者がひとつの世界。それは「情」で初めて理解できるものであって、頭脳や知識で理解しようとしても無理なものなのです。
私がマクロビオティックに感じる「共感」も、それに似たものがあります。そして、前述したマダム・シーセル親子のように海外で出会ったマクロビアンからも感じたものなのです。彼ら、彼女らは日本で独自に発展したマクロビオティックという生活法の中に何か不思議なものがあると気づき、日本に魅せられ、その思想に惹かれた人たちなのでした。
戦後、私たち日本人は西洋に追いつけ追い越せと長い間頑張って来ましたが、私たちは彼らがどれだけ頑張っても簡単には手に入れられないものを持っているのです。
現代人はどうしても「理」や「知」を重要視するのが当たり前と考えて来ました。しかし、その対極にあるのが「感情」で、その感情の中には大切な「情」が存在します。それは「こころ」と言っても良いかもしれません。
人類は長い間、「理」や「知」を育てて来ましたが、ならば、「理」や「知」が育っていなかった古代人は愚かだったのか、不幸だったのかといえば、決してそんなことはありません。
古代にも「情」はちゃんと存在していて、逆に「理」や「知」に惑わされることがない幸福な時代だったと言えるかもしれません。これは未来を見る場合にも重要です。「理」と「知」をどれだけ大きくしても、きっとそこに幸せはありません。「理」や「知」でモノゴトを「理解」しようとするのではなく、「情」で感じ取ることの重要性がそこにあります。
・・・坂口直樹先生のことを書くつもりが、どういうわけか自論の展開の場になってきた感があります。ますます増えていく文字数に反比例してどんどん減っていく読者数。果たしてこの先、無事に着地できるのでしょうか?
それは私にもわかりません。ここまで辛抱強く長文についてきてくださったあなた、ここまできたら道連れです。次回、息切れせずに無事着地できましたら、一緒に祝杯をあげましょう。
一抹の不安を残しながら、この項つづく・・・
●岡潔 先生の生前のご様子
⭐️ あなたは日本人に生まれて幸せですか?岡先生の思想は、この国の希望であり、この国の宝です。彼の脳内宇宙にこうして活字を通じて触れられる喜び。どうぞあなたもかみしめてください!
新品価格 |
★ついでにポチッとして頂けたらうれしいです。ありがとうございます。
コメント