名人・坂口直樹と出会って感じたこと③

マクロビオティック

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<はじめに>

夏の暑い季節に長文を読むのは大変苦痛を伴うことです。にもかかわらず、ここまで読み進めて下さった辛抱強い読者の皆様に心よりお礼申し上げます。

けど、恐ろしいことに長文はまだまだ続きます。

 

「話は短くまとめなさい!」

常々、妻にそう言われている私ですが、長くなるにはワケがあります。この度、名人・坂口直樹に出会い、その豊かな人間性に触れてマクロビオティックの真の目的に気づかせて頂き、ようやくアンチマクロ派に対する反論記事を書いてみようという気持ちになった私。

その論を展開するためには、まず私自身のマクロビオティックとの関わりとバックグラウンドについてお話しなければなりません。曲がりなりにも半世紀は関わってきたわけですからそりゃ長くもなります。けれど、最後には「衝撃の結論」であなたの目からウロコを落としたいと考えています。そのためにも、バックグラウンドの説明は必要不可欠。推理小説における伏線をはる作業に等しいのです。

また、「タイトルに坂口直樹先生が出てくるのに本文には出てこないじゃないか!」とお嘆きの貴兄、その心情お察しします。しかしながら、忍耐強く読み進めて頂ければ、最後にはしっかり坂口先生も登場し、すべてがひとつにまとまり、すっきりした読後感と爽やかな風を心に感じて頂けることと思います。

そんなわけで、うちわ片手に冷たい麦茶用意して、もう暫くおつき合いください。

 





 

■すべてはここから始まった■

私が22歳の時、転機が訪れました。マクロビオティックの世界的リーダー・久司道夫先生が札幌で初めて講演をすることになり、主催者が父であったことから手伝いを頼まれ、会場へと向かいお話を聴かせて頂く機会があったのです。

好きじゃないマクロの話とあってあまり期待していなかったにもかかわらず、その日の久司先生のお話はとても印象に残りました。食べ物は人の健康を左右するのみならず、世界平和の実現にも深く関係するという内容でそのスケールの大きさに圧倒されました。

 

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●久司道夫先生(1926-2014)

『久司先生の講演会』
今週の日曜日、札幌でマクロビオティックの世界的リーダー・久司道夫先生の講演会が行われます。題して『マクロビオティックス~日本の伝統食・身土不二にかくれた知恵…

 

ちょうどその頃、私はある計画をあたためていました。大学受験に失敗した私は日本なんかに学ぶものはない、海外に出ようと考え、世界一周旅行に旅立つ予定でいたのです。資金はバイトですでに準備してありました。講演終了後、久司先生ご夫妻にご挨拶をして、その計画をお伝えしたところ、

「それは、面白い。その世界旅行、アメリカからスタートしてみてはどうかしら。ぜひ、うちへいらっしゃい。部屋を貸してあげるわ。うちで、しっかりマクロを勉強すれば良いわ」

思いがけず、奥様からそんなお誘いを頂きました。実はこの旅行、どの国からスタートするか迷っていたのです。マクロは興味ないけれど、部屋を貸してもらえるとは有難い。私はすぐにアメリカ行きを決め、「お願いします」と言って深々と頭を下げました。すると、久司先生が私の顔を見つめてこう言いました。

「ただし、条件があります。君はチョコが好きなようだけど、久司ハウスでは(当時、先生の邸宅はそう呼ばれていました)チョコはいけません。玄米をしっかり食べること、いいですね」

私は虚をつかれた思いがしました。私がチョコ好きなのが見事に当てられたからです。実はその朝も、人から頂いたホワイト・チョコを1枚ぺろりとたいらげて会場に向かったのです。けれど、歯磨きだってしっかりしたし、顔に吹き出物が出ていたわけでもありません。なのに、なぜわかったのでしょう。

「も、も、もちろんです」

私は少し上ずった声で苦笑いしながら、マクロビオティックとは、なにやら、神秘的で奥深いものらしいことを悟りました。そして、その数ヶ月後、私はアメリカへと旅立ったのです。

 

■マンハッタンで体調を崩して■

初めての海外、初めてのニューヨーク。見るもの全てが輝いていました。私はタイムズスクエア近くの安宿を根城に、毎日マンハッタンの通りを闊歩しながら、博物館やギャラリーを訪ねて回り、至福の時を過ごしました。

お金をセーブする為、日に3度の食事はファストフードを利用しました。いや、正確にいうと、食べたかったのです。子供時代からの厳格なマクロ食の強要、その反動ですっかりファストフードに憧れを抱いていた私にとって、マクドナルド、バーガーキング、KFC、ピザハットなど、鮮やかな原色の看板が立ち並ぶタイムズスクエアは、まるでパラダイスのように見えました。ここでは、好きなだけファストフードが楽しめるのです。

朝はコーヒーとチーズバーガー、昼はマックシェイクにチキンナゲット、夜はちょっとぜいたくにビッグマック、などという食生活を連日のように謳歌していたのです。

しかし、1週間を過ぎた頃から異変が現れはじめました。カラダがだるくなり、便秘の症状が現れたのです。最初は旅の疲れだろうと思っていたのですが、2週目を過ぎると時々頭痛や腹痛を感じることが多くなり、3週目に入ってからは、朝からカラダが重く、時々吐き気をもよおすこともありました。食事に原因があるとわかってはいましたが、空腹になるとたまらなくファストフードが食べたくなるのです。それは、まるで中毒症状のようでした。

交互に押し寄せる頭痛と腹痛の波。日に日に体調は悪化し、気持ちも浮き沈みが激しくなりました。そして、もう限界との思いから予定よりも早くボストンの久司先生宅にお世話になることにしました。

 

■ボストンで再会した玄米ご飯■

ボストン市内、中心部から少し離れた閑静な住宅地に久司ハウスはありました。先生ご夫妻はヨーロッパに講演旅行で不在でしたが、ハウスの管理をしているアメリカ人男性が、私が空腹なのを感じ取り、すぐにあるもので晩御飯を用意してくれました。

テーブルに並んだのは、ふっくらと炊き上げられた玄米ご飯、それに具沢山の味噌汁、そしてたくわんの古漬け。日本でいつも目にする定番メニューです。しかし、その時の私にはそれらがとても魅力的に見えました。

味噌汁をひとすすりすると、その懐かしく温かな風味がゆっくりと喉を伝っていきます。そして玄米を一口含んで噛み始めると、唾液とまざったえもいわれぬほどの滋味が口の中いっぱいに広がっていきます。それら食物のなんと豊かで、優しいことでしょう。

疲労しきった私のカラダにそれらは深く染み入り、ただただ感謝の気持ちが湧いてきました。こんな気持ち初めてでした。

「私に必要な食物はこれだったんだ・・・」

心の底からそう思いました。その後、体調はみるみる回復しました。

 

■私の宝物はここにあった■

その頃、久司ハウスには常時十数名ほどのゲストが滞在していました。ヨーロッパやアジア諸国、世界中から大勢の若者たちがマクロを学びに来ていて驚きました。食事の前後には必ず手を合わせ、食物へ感謝の祈りをささげます。当時、ジャパンバッシングが言われていた時代にもかかわらず、ハウスのみんなは私たちの日本文化に深い興味と尊敬の思いを抱いていました。

合気道を学んでいる者、書をたしなむ者、茶道の研究家などもいました。夕食後毎日のように、ハウスメイトみんなでリビングに残って夜遅くまで色々なことを語り合いました。私はこのひと時がとても好きでした。一粒の玄米の話から始まり、果ては宇宙論にまで広がりました。若者それぞれが、マクロを通じて健康になった喜びと、それぞれの夢を熱く語り合いました。自分の国に帰ったらマクロの指導者になるのが夢という者もいました。

そして、どうすれば世界が平和になるかというテーマになると「この混迷する世界を調和に導く鍵は、私たちの毎日の食卓にこそある」という結論に一同深く頷き、番茶を飲んで締めくくるのが常でした。

宝物を探しに海を越えて来た自分でしたが、その宝物は実は東洋に、私の生まれ育った日本という国にあったのです。

 

■稲穂は天に向かって伸びるアンテナ■

それからの私は、久司ハウス滞在中、まるで人が変わったように、マクロの勉強に熱中しました。ハウスの食事は滞在者が当番をきめて行うのですが、これもすすんで挑戦しました。十数人分のマクロ料理を英文のレシピ片手にアヴェリーヌ先生(久司先生の最初の奥様・故人)に直接ご指導頂きながら作らせて頂く時間はとても楽しいものでした。

ハウスのあるブルックライン地区は、東海岸でもオーガニック運動の盛んな所で、近くには、オーガニック・スーパーや、マクロのレストランなどが数多くありました。中でも私が気に入っていたのは「オープン・セサミ」というレストラン。そこはお忍びで、故ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻や故ジョン・デンバーなどのミュージシャンが多く訪れていた店。休日になるとハウスメイトたちと連れだって、ここで食事を楽しみました。

1日3度の完全マクロ生活。始めはできるだろうかと不安でしたが、毎食のバラエティに富んだ穀菜食はとても美味しくて一度たりとも不満を感じたことはありませんでした。

食物が精神や感性に影響を与えるものであることもよくわかりました。食事が変わってからはいつも心穏やかで平和な気持ちでいられました。また、勘が冴えて、ふと日本にいる友人のことを思ったりすると、その直後にその友人から国際電話がかかってきたりすることが続き、大変驚きました。面白いほどにシンクロニシティが頻発するのです。それから数え切れないほどの不思議な出来事が起こったのですが、あまりに多いためここでは触れません。それについてはいつか整理して書いてみたいと思います。

ある時、久司先生に「玄米ご飯を食べ始めてから不思議なことがやたら起こるのですが、一体なぜでしょうか?」とお訊きしたことがありました。その時答えて下さった先生の言葉が今でも心に残ります。

「宮本くん、稲穂はね、大地から天に向かってまっすぐに伸びたアンテナなんです。この穂先には太古から続く地球上のあらゆる情報が宇宙に向かって発信され、また宇宙からの情報をキャッチしてもいるのです。ゆえに、玄米を良く噛んでいると、感性は研ぎ澄まされ、本来人間には何が大切かが自然とわかるようになってきます。そして必要なヒト、モノ、デキゴトに出会えるようになるのです」

 

■世界中で出会った玄米おむすび■

久司ハウス滞在により、意識もカラダも一変しました。これはハウスを去ってからも続いた私の旅の目的そのものを大きく変えてしまいました。さまざまな国でマクロと関わる人々に出会い、翌年私は帰国しました。

末期ガンをマクロに出会って克服し人生に新たな意味を見つけた医師。病気ではないけれど自分の創作する作品の質を高めるためにマクロを取り入れている芸術家。世界平和を実現するために日常食をマクロにきりかえた環境活動家・・・実にさまざまな場所でさまざまな人々と出会いました。

彼らはマクロと出会って人生が大きく転換したといいます。その喜びと感謝の気持ちを涙ながらに語る人がいたり、私が日本人であるというだけで握手を求めてくる人々にどれだけ出会ったことでしょう。そうした人々と別れる際、彼らは旅人である私に「あるもの」を用意して持たせてくれました。

・・・それは「玄米おむすび」でした。

異国で目の色も言葉も異なる人々が握って下さった玄米おむすびを頂きながら、人のご縁の不思議さを思いました。

日本と比べて海外には、マクロビオティックが単なる食事法ではなく人類の進化や平和につながる「鍵」であるという意識を持つ人が多いのに驚いたと同時に、桜沢先生や久司先生はじめマクロの先達たちが今まで海の向こうで行われてきた活動の意味と大きさに胸が熱くなりました。

 

■なぜマクロで元気になる人と病気になる人があるのか?■

もちろん、マクロで全ての病気が良くなったり、マクロが万能であると言いたいわけではありません。私が出会った人々や伝え聞いた人々の中には、西洋医学を拒み、マクロの食事法だけで病気と闘い、結果、亡くなられた人もあります。また、長期にわたる制限食で体調を悪くした人にも出会いました。しかし、それ以上に健康で幸福なマクロビアンに世界中で出会ってきたことも事実なのです。

ではなぜ、このような違いが起こるのでしょう?

それは「マクロをどう捉えるか」によります。先に述べたようにマクロビオティックという言葉が抽象的なために、それぞれの指導家の持つマクロの定義が異なり、理解のしかたに幅が生じてしまうことに由来します。ある指導家はマクロを「玄米食」と捉え、主食は必ず玄米にすべしとして病人さんに指導します。確かにマクロでは全粒穀物を基本にしますし、私自身も玄米ご飯の素晴らしさは認めますが、胃腸の弱い人や、充分咀嚼できない高齢者、それにまだ歯の生え揃わぬ乳幼児には適切な食品とは言えない場合だってあるのです。

また、マクロは「菜食」であると捉え、肉や魚を禁じる指導家もいます。一般的に現代栄養学では菜食はビタミンB12や鉄分、亜鉛、DHA、EPAが不足するため肉、魚をバランス良く食べるべきで菜食は危険と警鐘を鳴らします。

しかし、私の周辺には、完全なベジタリアンでありながらも健康に活動している人や、祖父のように43歳で医師から死を宣告されたにもかかわらず、その後、毎日玄米と野菜を中心とした質素な食事で86歳まで生涯現役で治療家として元気に天寿を全うする人もあります。なので私は、肉や魚が必要か否かはその人の体質やライフスタイルによると考えます。ネットにあるようにすべての菜食主義が健康を害するとの主張には少し懐疑的なのです。

ちなみにマクロビオティックでは決して肉や魚を食べることを否定しているわけではありません(ここ大事!)。久司先生が提案された食生活のガイドラインにも動物性食品は登場します。しかし、動物性食品の過剰摂取はエネルギーバランスを崩すという理由で摂取割合は低く抑えるべきとの考えなのです。

 

■犬歯を含む私たちの歯の構造■

私自身も、今の自分にとっては少量の動物性は必要と考えています。

今までさまざまな食事法を実際に試し、20代の頃にはかなりストイックな完全ベジタリアン食を半年近く続けたこともあります。その時感じたことは感覚が敏感になること。アメリカでのマクロ生活でも体験しましたが、勘が冴え、非常に感覚的になります。これは宗教家や思想家など精神活動を中心にしたライフスタイルには合っていると思います。

しかし、私の場合、それを長く続けるうちに夢想的になり、現実生活に対しての意欲が低下し、軽い鬱的な気分が生じてくるようになりました。ところが、ちょうどその時、狩猟をする知人から野生のエゾ鹿肉を頂き、感想を伝えねばならないことから、母に頼んで調理してもらったところ、食したその晩、カラダが熱くなり、興奮して眠れなくなりました。自分のカラダ中を野生のエネルギーが駆けめぐっているのを感じたのです。

そして、それまでの鬱的気分が一気に払拭され、仕事に対する意欲を取り戻し、現実社会に対応できた体験があるのです。その時、やはり私たちが口にするものにはそれぞれ固有のエネルギーがあり、その人にとって必要な食物はその時々の体質やシチュエーションによって異なるということが理解できました。

その人にとって必要なものが補われた時、心身は最も活気にあふれます。その必要なものを「陰陽」をヒントに探っていき、調和させていくのがマクロビオティックなのです。

一般に私たち成人の歯は32本あり、そのうち4本は犬歯です。犬歯はその形状から肉を引きちぎる歯として自然にデザインされていると考えられます。その犬歯を与えられている以上、私たち人間も少量の動物性食品は必要と思うのです。

しかし、物質的に豊かになった先進国において、動物タンパクや脂肪、砂糖の摂取は過去に例がないほど増え続けています。そうした食品の過剰摂取が成人病やがんなどの発症リスクを高めることは、アメリカの栄養学者コリン・キャンベル博士によって明らかにされています。食生活のベースにおいて動物タンパクの摂取過剰が現代人の健康不安の主たる要因であるというのが博士の主張です。

そういった意味では、マクロビオティックにおいて久司先生が示された食のガイドラインは、私たちの食生活のベースを考える上でとても参考になります。

 

 

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●食のガイドライン

http://kinkiagri.or.jp/library/foods/macrobiotic.htm から

 

私自身は、このガイドラインをベースに寒冷地である北海道という地域性を考慮し、動物性の割合を若干多くして自分及び家族の日常食、それに健康相談におみえになるクライアントさんへのアドバイスの指標としています。なお、私たちのオーガニックカフェでは一般家庭で常時、肉魚が惣菜として使われることを考慮し、それらを使わずとも十分献立が成り立つことを知って頂くため、100%植物性食材でメニューを考案し提供させて頂いています。

 

■大切なのはバランスをとること■

本来、マクロにおいて重要なポイントが何かといえば、それは「バランスをとる」ということに尽きます。「陰」と「陽」という物差しを頼りに、変化する心とカラダ、変化する季節、変化する環境の中で絶えずバランスをとり、調和させていくことがマクロビオティックの肝なのです。それは「玄米ご飯を食べ続けなければいけない」とか「肉や砂糖を全くとってはいけない」とか、そういうことではないのです。

ちょっと肉を食べたからと言って、アイスクリームを食べたからと言って、すぐに死なないことくらい誰だってわかっているはずです。そこを指導家が「○○しなければならない」とか「○○しちゃいけない」という固定した考えで健康指導したり、指導を受ける側もそれを鵜呑みにして、心身が「No!!」と言っているにもかかわらずマニュアル化された食事を続けるのには無理があります。

確かに、余命何ヶ月と宣告されたようながんに対して治療に取り組むというような特別な命のやり取りに臨む場合など、マクロでも一切の肉や白砂糖を絶ち、治病食に取り組むということはあります。しかし、平素、健康に暮らしている私たちは、自分自身の心とカラダの要求と陰陽の物差しを参考に日々の食事を自分自身でアレンジしていくべきなのです。

私にとってはそれがマクロビオティックであり、それにより自身の生命がイキイキと輝き出し、その元気が自分や周囲に健康と調和をもたらして社会が良くなることこそがマクロの先達たちが希求したことであると理解しています。これが、50年近くマクロビオティックと関わってきた私が見出した結論です。

 

■りんごの価値は味わってみなければ分かりません■

前回述べたように、「apple」という言葉からイメージされるものはさまざまです。100人いれば、100の「apple」が存在します。一人ひとりの頭の中に描かれる「りんご」は似ていても、全く同じものはおそらく存在しないでしょう。

けれど人は、頭の中のりんごが異なっても「apple」という言葉を用いて互いに意見を交換しあったり、共感しあったりするのです。

その人にとっての「apple」は、その人自身が見たり、聞いたり、触れてみた「りんご」がもとになります。けれど、「りんご」は食べ物ゆえ、実際にかじってみなければ本当の味はわかりません。

 

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ある人は、表面の皮だけ口にして中身も食べずに「りんごは硬くて苦いもの」と認識するかも知れません。またある人は、傷んだりんごを口にしてお腹を壊し「りんごはまずくてカラダに悪いもの」と認識するかも知れません。さらにある人は、実際に自分で食べることなく前者の言ったことを鵜呑みにして「りんごは食べるに値しないひどいもの」と認識するかも知れません。りんごは、それをきちんと理解して味わえば、美味しい上にカラダに滋養をもたらす糧となるにもかかわらず、です。

しかし、お互いの思い描くりんごが異なる状態で相手を批判してみても仕方がありません。それはマクロビオティックとて同じこと。

苦い皮だけ口にしたり、傷んでお腹を壊した体験のみをもとにして大騒ぎし、マクロに対する否定的な意見を書き連ねたブログやSNSの記事を見るにつけ、寂しい気持ちにはなります。しかし、それらの否定的意見が発生する背景には、前述したようにマクロを指導する側の認識不足や指導のしかたにも問題があるのではないかとも思います。

私は数年前からブログを通じて、微力ながらマクロについての情報を発信してきました。私にとって「マクロビオティック」という言葉には、食事法というだけではなく、マクロを大切に思ってきた祖父の半生や、一家をあげて行ってきた活動、私が直接お世話になった久司道夫先生はじめ偉大な指導者の存在、そして、海外で出会ったマクロビアンとの思い出や彼ら彼女らから頂いた玄米おむすびまですべてが含まれているのです。

私の拙い記事を通じて、マクロの本質を本当に理解し活用してくださる方が少しでも現れてほしい、そんな気持ちで書いています。

 

■あるものとは何か?それが問題です■

今回の講座を通じ、坂口直樹先生とお会いして直感したのは、坂口先生が「あるもの」をお持ちということでした。それは今は亡き久司道夫先生も確かに持っておられたものです。

その「あるもの」とは、海外からも賞賛されたある日本の天才数学者が、私たち日本人に備わった特質としてあげられたものです。それは一体何でしょう?

私が海外で出会ったマクロビアンたちは、この「あるもの」を求めていたがゆえ、マクロビオティックに出会い、その素晴らしさに気づいてくれたのだと思います。

その「あるもの」ついては次回お話ししたいと思います。

 

つづく・・・

 

 

 

⭐️ 東洋思想をマクロビオティックを通じて西洋社会に伝えた功績はただただ大きい。マクロの巨人・桜沢如一を知る上で無視できない一冊。暑い夏の夜、あなたも是非うちわ片手に汗かきながら読破しましょう!

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