🍀 Organic cafe 知恵の木は 札幌にある美味しいオーガニックコーヒーとランチの店です!

Food

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魚嫌いを治すには

世の中には魚嫌いな人というのがいる。昔なら日本人のタンパク源といえば豆と魚だった。ところが戦後の食糧政策により欧米食が導入され国民の間に魚離れが進んだ。 何を言う、回転寿司屋が大流行ではないか?そんな声もあるだろう。しかし、寿司はハレの食事であり可食部分は身か卵だけだ。 私が言うのは、皮や骨、目玉まで食べられる全体食としての魚だ。いわし、サンマ、サバ、シシャモなど。これらの魚油は悪玉コレステロール […]

コーヒーを断つ

好きなものを一時的に止めると人の身体はそれを新たな刺激として受けとめ、今まで眠っていた感覚が再び活動し出すのではないか。 好きなジーンズが履けなくなった悔しさから始めた禁酒と朝食抜きであるが、もうすぐひと月になる。その甲斐あってジーンズは履けるようになったし、お酒を買わない分貯金ができた。朝食を摂らない分時間ができて読書もできる。 何より思考に集中できて感覚が敏感になったのがわかる。この勢いでさら […]

備前焼でビールを

禁酒が見事に続いている。もう少しでひと月になるだろうか。代わりにお茶を飲む機会が増えた。飲む時は備前焼の湯呑み茶碗を使うのだが、これがまた旨い。 備前焼の陶土には豊富な鉄分が含まれ、鉄がじっくり焼き締められて発生する遠赤外線がお茶の味をまろやかにするのだと聞いたことがある。 ところが先日新たな情報を入手した。ある科学者の実験により備前焼からは遠赤外線のみならず特殊な電磁波が発生していて、それが水分 […]

続・驚愕のそば屋

「兄さん、おおもりにしときな」店主は拳銃をしまうと私が品書を見る間もなく注文を決定し目の前でそばを打ち始めた。普段着の出で立ちにも関わらず手際良く作業をこなす。 ただ困ったことに余程の話好きなのか、打つ間中しゃべっている。そばに関するあらんかぎりの蘊蓄を、間に親父ギャグを挟みながら話す話す。 「兄さんツイてるぜ。世界でここだけのそば、世界一茹で時間の短いそばを食べさせてやるから見ときな」 かなりの […]

驚愕のそば屋

驚いた。昨日のれんに誘われふらり入ったそば屋の印象である。古い昭和民家の玄関戸を開けるとびっしり水苔に覆われた水槽にフナ程の大きさの金魚が二匹どんより泳ぐのが苔の隙間から見えた。店内は田舎の叔父さんの家と同じ臭いがする。 まずい!引き返すべきか否か迷っていると暫くして中から「靴脱いでスリッパ履いて」と男の声がし、奥に通された。 雑然としたカウンターのあちら側にはそば打ち台と五分刈りの店主。打つ作業 […]

執筆とものもらい

本ブログ開始からひと月が経つ。一日も休むことなく書いている。ついでに今まで休筆していた他のブログも再開したので連日鼻血が出そうな勢いで書いている。 常々ブログ更新は文章力の筋トレと考えているがかなり筋肉がついた感じだ。と思ったら鼻血が出ずにものもらいができた。昨日左瞼がいづく、見たら腫れている。きっと連日夜更かししての執筆で目を酷使したからなのだろう。 20代の頃はよく罹っていた。でも眼科には行か […]

地獄の缶詰

忘れられない食べ物がある。今も夢に見るくらい印象に残る食べ物だ。味よりもむしろその強烈な臭いが。名前をシュール・ストレミングと言う。 スウェーデンに暮らすロシア人の友人を訪ねたところウォッカのつまみにはこれが最高よと言ってパンパンに膨らんだ缶詰を取り出した。中身が吹き出すと大変なことになるからと何枚もタオルを重ねた上慎重に缶切りの刃を入れる。 プシューと音を立てながら現れたのは嗅いだことのない物凄 […]

戦国兵士はマクロビアン?

戦国時代がブームだ。室町時代からの世情不安をきっかけに全国の戦国大名が領土拡大の戦闘に明け暮れた。戦では鎧を身につけ重い刀や槍片手に農民出身の兵士達が大活躍した。 彼らは一体何を食べていたのか?それは玄米だった。炒った玄米を袋に入れて体に巻きつけ戦った。炒り玄米はそのまま食べたり、鍋に入れれば雑炊にもなった。 また、大豆をすりつぶし麹を混ぜて玉にしたものも携帯し、戦いの後、味噌になったのを味噌汁に […]

ツマミの流儀

昨日勢い余って当ブログで1カ月間の禁酒宣言した手前、昨夜から呑めずにいる。後悔はない、だが呑めないとなると余計に考えてしまう。禁酒明けは何で祝おうかとか、ツマミは何にしようかとか…。 自分流のツマミの流儀があって蕎麦や焼きお握りで一杯飲ることはない。悪酔いの原因となるアセトアルデヒドなる成分があるが、これらに含まれる糖質がそれを増やすのだ。二十歳の頃、粋を気取って蕎麦屋でしこたま呑んで酷い目にあっ […]

庭栗(にわぐり)

庭に一本の栗の木がある。前の家主さんが家族の成長を見守るシンボルツリーとして植えたものだ。今年も収穫の時期を迎える。 越した当時、娘は幼稚園児だった。毎年秋には庭に散らばる毬栗を見つけ、「パパ、一緒に栗拾いしよ」そう言ってせがんだものだ。 やがて娘と私が採集担当となり、妻が栗ご飯を炊いて家族皆で収穫を祝い、年中行事になった。 それがいつの頃か娘からのお呼びがかからなくなった。来春大学受験を控えた今 […]

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