ナナオサカキは宇宙②

・・・前回からの続きです。(以前、アメブロ『noahoahの21世紀宝船Blog』に書いたものを再び掲載しています)
詩人と共に過ごした夏の五日間。
あの宝石のように美しい時間を
私は生涯、忘れないだろう。
「ナナオ・サカキ」
彼は全身詩人であった。
彼が発する言葉は詩になり。彼の行動全てが詩になった。
朝、コーヒーを飲みながら交わした詩人との会話を
私は生涯、忘れないだろう。
世界中の砂漠や草原を歩いた話。世界に古くから伝わる民話や昔話について。そして、偉大なアーティストたちとの交友談。詩人の記憶の引き出しから取り出され、語られる話の面白さに私は酔った。
詩人が滞在したアメリカ・タオスの町、川一本隔て、画家のジョージア・オキーフが住んでいた。詩人はある時、彼女のアトリエを訪れた。そして、自慢のひじきのバター炒めを作ってあげたところ、それがオキーフの大好物となり、以来、彼女は詩人の来訪とひじきのバター炒めを心待ちにしたとか。
●ジョージア・オキーフ(1887-1896)
●オキーフの作品より
アレン・ギンズバーグ(詩人) ゲーリー・スナイダー(詩人) 砂澤ビッキ(アイヌ彫刻家) ジョージア・オキーフ(画家) イサム・ノグチ(彫刻家) 草野心平(詩人) 星野道夫(写真家) 永島慎二(漫画家) マイルス・デイビス(トランペッター) アンドリュー・ワイル(医師・著述家) 谷川俊太郎(詩人) アート・ブレイキー(ジャズ・ドラマー)・・・
詩人の交友談に登場する人物は、好きな人物が多く、とても興奮した。
「今まで出会った中で尊敬する人はいましたか?」
訊くと詩人はこう答えた。
「彼らも勿論、友人として尊敬しますが、本当に尊敬する人は、むしろ名もなき人の中に多いのです。農民や漁師、鍛冶屋や大工などの名もなき職人たちの生き方に私は多くを学び、美を感じてきました。」
また、詩人は長崎で原爆体験もあり、戦争と平和について語ることもあった。
「私が兵士だった時、敵の戦闘機が私に近づいて来たんです。私も小銃を持っていて相手に銃口を向けました。しかし、操縦席の飛行士がロングヘアに髭を生やしたヒッピーだったのです。私も髭を生やしていたため、うれしくなって思わず手を振り、スマイルしたところ、彼も私に手を振り、スマイルを返してくれました。二人の間に弾丸が飛び交うことは無く私たちは平和にすれ違いました。戦場に奇跡が起こったのです。」
詩人と一緒に歩いた近くの森、その豊かな時間を
私は生涯、忘れないだろう。
いつもなら30分で回る散歩コース。詩人と歩くと倍かかった。歩くのが遅いからではない。時速6kmで歩く詩人の足はむしろ普通の人より速い。しかし、好奇心旺盛な詩人は、珍しい石を拾ってみたり、気になる木の幹に触れてみたり、なかなか真っ直ぐ歩かずに子供たちと道草を楽しみながら、森羅万象を細かに観察しているようなのだ。
驚いたことに詩人が手笛を吹くと、森のあちらこちらで山鳥たちが返事をした。まるで森の生き物すべてが詩人の来訪を歓迎しているかのように。その佇まいはまるで森の王。誠に絵になった。森を歩きながら、詩人の語る天狗の話や河童の話にわが子らも夢中になった。
詩人と回った市内のドライブ。その道行きで交わした問答を
私は生涯、忘れないだろう。
街にそびえ立つ高層ビル群を見上げながら、詩人は私にこう尋ねた。
「君は、もしもこの時代この場所に、突然、老子がやって来たら、何と言うと思う?」
「・・・まずは腹ごしらえと言って、コンビニでおにぎりを買うと思います。」
「ははは、それは面白い。風刺が効いているね。君もぜひ、詩を書いてごらん。」
テレビも映画も見ない詩人。こんな風にイマジネーションの世界に遊ぶのが楽しくて、テレビなど見る暇がないという。
詩人の詩集に『ココペリ』という作品がある。
ココペリとは古代ホピ族の伝説に出てくるセミの化身。袋を背負い、笛を吹きながらいつも世界を旅している精霊。この袋の中には全ての植物の種がつまっている。
ココペリは旅をしながら地球上に種を蒔き、人間に恵みをもたらすのだ。リュックひとつで旅をしながら、詩作を続けた詩人はココペリかも知れない。
リーディング2日目の会場でこんな素敵なハプニングがあった。 見慣れないロシア人女性のグループが、両手に抱えきれないほどの花束を持って、詩人に会いたいとやって来た。訊けば、時は80年代、チェルノブイリの原発事故で被災した子供たちを、当時、東ヨーロッパを旅していた詩人が見舞い、彼女らのために詩を詠んだらしい。
詩は彼女らの心に希望をもたらし、生きる糧となった。 その子らが大人になり、そのうちの何人かが縁あってこの札幌に暮らしている。風の噂に詩人の来札を聞き、一言お礼が言いたいとこの日、会場に駆けつけたのだった。
「そんなこともあったろうか。長く生きていると面白いことが起こるね。」
そのことを誇るでもなくただ笑顔。詩人は実にあっけらかんとしたものだ。 彼はやはり正真正銘のココペリに違いない。
やがて、詩人との別れの日。 私は彼をある公園にお連れした。古い友人に会わせるためだ。 古い友人とは、そう、かしわ太郎。私とは30年来の付き合いになるかしわの大木だ。(かしわ太郎とは→過去ブログ)
日常の悲喜こもごもを私はこのかしわ太郎に聴いてもらってきた。私が詩人に会えたことをかしわ太郎もたいへん喜んでいるようだ。 草原に立つ、一本のかしわの木と一人の詩人。
私にはこれら2つの存在が全く等価のように感じた。 例えばこれら2つの存在をシーソーに乗せれば、シーソーは右に左に傾くことなく水平にバランスが保たれてしまうのではないか。
それほどまでに、詩人は大きさと深さと、そして巨大な宇宙を有する人だった。その宇宙にほんのひと時触れて、私たち家族も共に豊かな時間を過ごさせて頂いた。
小学生だった長男は詩人への興味から、連日のように詩人にインタビューを敢行し、「ナナオさんについて」というタイトルで夏休みの自由研究を完成させた。ページを開くと「ビートニクとヒッピーとは何か?」という見出しがあり可笑しかった。
次男と長女は詩人によく話し相手になってもらった。普通、子供の相手は疲れるものだ。しかし、詩人は子供ら相手に飽くことなく長い時間話をしてくれた。オオカミやワニが出てくる詩人の創作話に、わが子らは目をキラキラさせて聴き入った。
詩人が滞在中、我が家には笑いが絶えなかった。詩人と子供らが話を始めると、滑稽なイマジネーションが次々に広がり、皆で一緒になって大笑いした。
そんな子供たちが詩人と別れの握手の後、目に涙を浮かべていた。涙を浮かべぬまでも、妻と私も同じ気持ちだった。
「また、会いましょう。」
詩人は風のように去って行った。
その翌年のクリスマスの朝。詩人は、長野の山村でその自由奔放な生涯を終えた。やはり、ナナオはサンタクロースだったんだ・・・。
思えばどこにいても気にならず、いなくなるととても気になる不思議な人だった。飄々として淡々として、そして瞳の奥に少年と広大な宇宙を有する人。
私たち家族一人ひとりの心の中に、今も詩人は住んでいる。
2007年7月。
ナナオ・サカキという名の宇宙と出会った夏。 この夏の出来事を私は生涯忘れないだろう。
『奇 蹟』
ナナオ・サカキ
空気
風
水
太陽
は
奇 蹟
駒鳥の歌
奇 蹟
ミヤマオダマキの花
奇 蹟
どこから 来たのでもなく
どこへ 行くのでもなく
君は
ほほえむ
奇 蹟
・・・私はこれに ナナオに出会えた奇蹟 と加えたい。
*ナナオサカキ「ラブレター」
★自由を愛する人に、そして、宇宙を愛するすべての人に。
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