あいまいさと永遠
だいたい世の中、白黒はっきりさせたいヒトが多すぎる。
○か×か、白か黒か、善か悪か、男か女か、などなど・・・。
でも、これらは、人間が勝手にその時々の、その状態だけを切り取って、
単にレッテルを貼っただけのこと。
心静かに自然を観察してみれば、
そこにあるのは、つながりを持った「変化」なんだ。
水は、その態の違いにより、
露と呼ばれ、霧と呼ばれ、雨と呼ばれ、氷と呼ばれ、雪と呼ばれ、
その時々の移ろいの姿を見せてくれる。
また、温度の違いから、冷水と呼ばれ、
ぬるま湯と呼ばれ、お湯と呼ばれ、熱湯と呼ばれたりする。
どれもが、時に何かと混ざり合い、機に応じて、
その姿を移ろわせる水であることに違いはない。
自然とは、水に象徴されるような、ひとつのつながりでありながら、
その時々の姿を変化させる普遍的で、全体的で、絶対的な何かといえる。
しかし、人間は、つながり続ける自然を、
ことごとく「分ける」ことで理解し、「分ける」ことで感じ、
「分ける」ことによって考え、「分かった」気になってきた。
「分ける」ことの二分立は、0と1とのデジタルを生み、
コンピューターを生み、人間の「知」を大きく飛躍させたことは確かだ。
しかし、それにより、もともとひとつのつながりである自然から、
大きく遠ざかったものとなってはいないか。
私は、今こそ、「あいまいさ」に注目したい。
○と×との間にある△を。
白と黒との間にあるグレーを。
善と悪との間にある中庸を。
だいたい、男性の中にも女性性はあるし、
女性の中にだって男性性はある。
こうした中間にあるあいまいなものこそが、
異なる性質の両端を結び、変化を生み出し、
絶え間ない万物の生々流転の物語を生み出した。
移り変わる四季の谷間に用意された土用のように、
自分の中にある「あいまいなもの」を大切にしたい。
優柔不断という言葉も、視点を変えれば、
優しくて、柔らかくて、断たれることのない態度ともとれる。
きっかり分けずに、変化の中にあるつながりを感じる態度とも言える。
そうすると、
見えてくるよ。
変化のただ中にある「永遠」が。
★日本人は、物事をはっきり言わない、自主性がない、と非難されることが多い。しかし、むしろ曖昧だからこそ、日本は世界有数の安全で豊かな国になれたのだ。
新品価格 |
-
前の記事
謙虚さがなくなる兆候 2015.06.08
-
次の記事
NLPを暮らしに活かす 2015.06.10