白隠禅師の健康法①


hakuin

 

■お江戸の時代のスーパースター■

突然ですが、質問です。

あなたは、もし道を歩いていて、すれ違った人に、「あなたの好きなお坊さんは誰ですか?」と尋ねられたなら、何と答えますか?

私なら迷いなく「白隠禅師(はくいんぜんじ)」と答えるでしょう。

それくらい、白隠禅師が好きなのです。禅師は私が最も尊敬する人物の一人です。

 

彼は、江戸中期、五代将軍・綱吉の時代に静岡県・原に生まれました。生まれつき記憶力に優れ、4歳の時には300字もある村歌を一語も間違えることなく正確に覚え、歌って歩いて村人を驚かしたといいます。多くの伝説を残しつつ、一時期衰退していた禅宗を再び勢いあるものにし、84歳でその生涯を終えました。

当時のこんな歌が残っています。

「駿河には、過ぎたるものがふたつあり、富士のお山と原の白隠」


その心は、「駿河の国には凄すぎるものがふたつある。それは、富士山の美しさと、もうひとつは、白隠禅師の素晴らしさだ。」という意味。

あの富士山と並び称されるほどの偉大な人物であったこということです。彼は独学の天才でした。

まるでレオナルド・ダ・ヴィンチみたいに、何でも人並み以上にこなしてしまう人で、書家、画家、健康指導家、作家、それぞれのジャンルを師匠を持たず、独学で完成させ、多くの人々を幸せに導いたのです。

 

昔、ある本で禅師の達磨絵を観た私は、その達磨の表情の豊かさと迫力に圧倒されました。描かれた達磨の眼力がもの凄いんです。資料によると、それは83歳の時の作品。

「こんな作品を高齢にもかかわらず描いてのける禅師とはいったいどんな人物だったんだろう?」

そんな風にして私の白隠熱はしだいに高まっていきました。

日本における健康法の歴史を辿っていけば、必ず行き着く人であり、ヨガや気功、呼吸法などを現在指導されている方でも、その中には必ず何らかのカタチで禅師のエッセンスが含まれているはずなのです。たとえ、その方が白隠禅師の名前を知らなかったとしても。

いわば、禅師は日本人の心の故郷であり、この国におけるボディワークの祖である、と私は言い切ります。

 

■白隠禅師の寺を訪ねる■

そんなわけで昔から、禅師のことを師と仰いでいた私ですが、禅師が晩年を暮らした松蔭寺(静岡県)へはまだ一度も訪れたことがありませんでした。白隠禅師のファンにとって、松蔭寺といえば、イスラム教徒にとってのメッカみたいなものです。

いつか訪ねたいと思っていたのですが、数年前の秋にそれが実現しました。JR線の原駅で下車。そこから歩くこと15分位、松蔭寺に着きました。

風格ある立派なお寺。周りを檀家さんのお墓がびっしりと囲みます。由緒あるけれど庶民的。禅師の人柄を感じさせるお寺で一目で好きになりました。

本堂の隣には禅堂が続いており、平日の昼間だったせいか私以外に誰もいない、ひっそりと静まり返った空気。正面にはしかと目を見開いた厳しい表情の白隠像。

そして、禅堂の外には、禅師のお墓がありました。その墓石の前には平たい敷石が一枚。

私は思わずその石の上で座禅を組み、しばし瞑想しました。目を瞑ると、かすかに潮の香りがします。遠くで鳥の鳴く声。秋だというのに暖かな風が私の頬をやさしく撫でていきます。墓地の中には私だけ。目の前には禅師のお墓。

「白隠禅師が目の前に現れて、私にメッセージをくれたりしないかなあ・・・」
そんなことを思いながら、気持ちよくなってうつらうつらしかけたその時です!

 

じゃりじゃりっ、パコーン!

私のすぐ後ろでけたたましい音がして、私は眠りを覚まされました。振り返ってみればそこにはお掃除のおばちゃん。玉砂利の中、長靴で移動中のおばちゃんがつまづいて転びかけ、手に持っていたひしゃくを落としてしまったのです。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。ありがとう。あんた、どこから来なさった?」

「札幌からです。」

「そりゃ、遠いところからお越しで。」

しばらくおばちゃんと立ち話。おばちゃんは、代々続く檀家さんで、自ら奉仕でこのお寺のお掃除をしておられるそうです。全国から白隠さんを慕って多くの人がお参りに来られるとのこと。

おばちゃんによると、お名前は言えないが、誰もが知ってる歴代の総理大臣や名俳優、実業家たちが人生の壁にぶち当たった時、お忍びでここへ来て一人この敷石の上で座禅を組まれ。答えを得て帰られるようです。

お寺には、膨大な禅師の描かれた禅画や達磨絵が所蔵されていると聞いていたので、それを見せてもらえませんかと尋ねると、一般公開は年に1度だけ許されており、それは毎年4月29日だけとのこと。

「残念でしたなぁ、来年4月29日にいらっしゃい。」

本で見た達磨絵をここで見られると思った私は、おばちゃんと握手を交わし、少しがっくりしながら帰路へと向かいました。

 

 

■白隠の達磨絵と秘密の健康法■

しかし、それからしばらくして、禅師の書画を集めた「白隠展」が渋谷のbunkamuraザ・ミュージアムで開催されることを知り、再び上京して行ってきました。

圧巻でした!鬼気迫る迫力の達磨、コミカルでゆるキャラの布袋さん、少女漫画チックなお釈迦さまなどなど・・・実に表情豊かな人物や仏さまが、ところ狭しと並んでいます。

そこには、私が会いたかった眼光鋭い達磨もいました!会えて感激でした。思いのほか大作で、やはり晩年の作とのこと。大きな作品を描くだけでもたいへんなことなのに、彼は生涯に1万点もの書画を残しました。

江戸時代の初期、平均寿命は30~40歳、吉原の遊女の場合は23歳位だったと聞いたことがありますが、禅師はその時代に84歳まで長生きしています。その生命力と想像力の源とはいったい何だったのか。

それは「彼の秘密の健康法」によるものに違いありません。

白隠の名前が知れて、当時、全国から合わせて400人位の若いお坊さんたちが入れ替わり立ち替わり寺を訪ねて修行に励みました。

修業は厳しいもので、寒さに震える冬とて暖房はなし、食べるものはわずかなくず野菜に水しかなく、少しでも気持ちがゆるむと、禅師の鉄拳が飛んできます。

寺では、多くの若者が風邪をひき、肺病を患い、神経衰弱に苦しみました。こういう病のことを「禅病」といいます。そして、中には生死の淵をさ迷う者もでてきた時、たまりかねた禅師がこう言います。

「私も若い頃、修行が過ぎて禅病にかかったことがある。しかし、どんな有名な医者でも私の病を治すことはできなかった。その時、京都・山城の国山中に住むという仙人の話を聞き、彼に会ってある秘密の健康法を聞き出したのだ。それを用いた結果、私の病は治ってしまった。」

「私はもうとっくに70歳を超えておるが、少しの病もない。歯も1本も抜けておらず、目や耳はますます活発に働き、老眼鏡を忘れるほどだ。説法の席では70日語り続けて休まなかった。気力においては、20歳の頃よりはるかに元気だ。では、おまえたちにもその健康法を教えるとしよう。」

そういって、禅師が弟子たちに健康法を教えると、弟子たちの病はたちどころに治ってしまいました。さて、禅師が弟子たちに話したその健康法とは、いったどんな健康法なのでしょうか?続きは次回の記事でお伝えしたいと思います。

どうぞお楽しみに。


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noahnoah

治療家。マクロビオティック指導家。導引研究家。子供の頃から「生きる」ことの不思議に興味を持つ。20代で放浪の旅に出たインドで九死に一生を得る体験をする。以来、宇宙と生命の繋がりについて考えるようになる。現在、モノを書くことを通じて宇宙生命の神秘に近づこうと奮闘中!

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